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ヴァイン。そう名付けられたこの町は、『痕』の力を持つ「未開の深林」と呼ばれる巨木の森からそう離れていなかった。黄昏行く太陽は巨木の隙間に収まり、藍色に変わる空が逢魔の刻を告げていた。
灯篭には揺らめく炎が踊り、夕立があったのだろうか、濡れた石畳を艶やかに照らす。空気もしっとりと湿気を含み、行き交う人の額には汗が滲んでいた。
アーリオは旅荷をそのままに、なじみの酒場に顔を出す事にした。
行き慣れた道筋に入って行くと、考えるよりも身体が勝手に進む。
数件の食べ物屋が見えてくると、外に設けられた席で酒を飲む客の騒ぎ声が聞こえてきた。
ウェイトレス達は砂糖菓子のような笑顔と豊満な身体で男達を魅了しながら、注文を取っていた。
今まで緊張感に満ちた日々を過ごしていたアーリオにとって、この久しぶりの無防備な光景は新鮮な程に懐かしく、彼の眉間の皺と仏頂面を次第に解していった。
馴染みの酒場の戸を開けると、懐かしい木と酒の香りが鼻に広がった。
酒場主人は軋む戸の音で客を確認すると、見知った顔に一度目を見開いた。
大きな声を出し出迎えたり、カウンターから出てきて大げさな抱擁したりするような人物では無かったが、普通の客には使わない上等な陶器の盃を取り出した。そしてそこに記憶に懐かしいアーリオの好みの酒を静かに注いだ。
アーリオがカウンターの奥から二番目に座ると、主人はそこに盃を置いた。それと同時にアーリオは自分の剣を主人に手渡す。
入店時に武器類を店に預けるというのは、決して義務ではなかった。むしろ自分の分身を預けられるかと感情的になる客が多かったが、アーリオはそれが店にとって歓迎された態度でない事を知っていた。
やはりアーリオの手から剣が離れたのを見て、テーブル席で食事をする一般客は心無しか彼への緊張を解した。
「今戻ったのか」主人は話を切り出した。
「死んだと思ってたよ。あんなトコに行くと聞いた時にはな」
「死にかけたよ。毎日ね。でも今こうして酒を飲んでる。どうやら生きてるみたいだな」
アーリオは盃を傾け、一口分喉に流し込んだ。
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