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このお話はフィクションです
1 海を越えてきた男
そのころ、薩摩藩は12代藩主の座を巡り、我が子「忠教」を推す11代藩主島津斉興の側室お由羅の方と世子「斉彬」を推す一派とが藩を二分する激しい対立を続けていた。後の世まで語り草となる「お由羅騒動」である。多くの処分者も出し、藩内情勢は大荒れであった。
事態を重く見た、江戸幕府老中首座の阿部正弘は、斉彬を12代藩主へと後押しすべく、お由羅の方に加担していた家老 調所広郷(ずしょひろさと)が藩の財政立て直しを名目に琉球を通じ「清国」と密貿易をしていた件を追及。広郷を自害に追い込み、11代藩主斉興には案に隠居を命じ、騒動は収束を迎えた。
そのような紆余曲折を経て、島津斉彬は12代藩主に収まった。斉彬は早速、藩内を巡り、藩士はもちろん、領民にも開明的、融和的な藩主という印象を与えた。その後、藩士たちに藩政、国政に対する建白書を出させ、有能な人物を年齢、家柄を問わず多く登用した。と同時に殖産振興にも力を入れ、集成館や開物館を開いたり、反射炉建設や火薬の研究など、吹き溜まりとなっていた藩内に新しい風を次々と吹き込んだ。
さて、そのような薩摩藩内に一人の変わり者と呼ばれる姫君がいた。島津分家のひとつ、今和泉島津家の当主島津忠剛の娘で名を「於一(おかつ)」といった。今和泉の家は島津家の分家ではあるが、財政は火の車であり、一家は質素倹約を旨とし日々暮らしていた。忠剛は体が弱く、晩年は病気がちであったため、賢婦人と呼ばれた、於一の母である正室のお幸が家内のこと、領内のことを切り盛りし今和泉島津家を支えていた。於一には上に三人の兄がいるが、その兄妹の中でも於一が一番身体が丈夫であり利発であった。
「姫様!今日もそのような格好で外に行かれるのですか!」
今和泉家の老女菊本が慌てて於一に声をかけた。
「女子(おなご)の格好をしてては、走りにくいし速く歩けぬ!」
今日もすぐ上の兄、忠敬の袴を引っ張り出し着替えると走って出ていった。2
人のやり取りを聞きつけお幸が奥から出てきた。
「奥方様、またやられました。」
菊本がため息まじりに訴えるとお幸は微笑みながら
「まあいつものこと、仕様がありませんねえ」
と答えた。
「あのような格好でまたウロウロしていたら人から変わり者の姫だと笑いものにされ、縁組の話しも遠のきます。」
菊本は養育係として頭が痛い。
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