第 1 章

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父、忠剛も於一のことでは頭を悩ませていた。先日もお城において於一はとんでもないことをやってのけたのである。それは斉彬が藩主になり、初めて一族が謁見した日のことだった。於一も斉彬と直接話しができる機会を得たのである。於一は幼い頃から書物が好きで「日本外史」や「大日本史」、儒学や朱子学、算用書、兵学書などを暇さえあれば屋敷の書庫で読みあさっていたのだった。 「そなたは、学問が好きなのだそうじゃな」 斉彬はすぐ下座に控えていた家老の小松清猷(こまつきよもと)より事前に於一の話を聞いていた。優秀な学者肌であった清猷は家老職の傍ら私塾を開き城下の子供や若者たちに学問を教えていた。於一はそこの押しかけ塾生であるが、その優秀さに瞠目しているのである。 「はい、学問は大好きです。それに武術も好きでございます。」 それを聞いていた父、忠剛は平伏しながら手汗が止まらなかった。しかし、斉彬は気に入ったようで 「結構、結構。学問が好きということはとても良いこと。武術も好きとは頼もしい姫じゃ。のお、忠剛殿」 斉彬は上機嫌になり、忠剛は恐縮しきりだった。 「ありがとうございます」 褒められたと有頂天になった於一はいきなり、 「お殿様の近くで働かせてください。ほかの家臣の方々には負けませぬ。薩摩のためこの国のため働きまする。」 と言ってのけた。周囲の者たちはたまげたが、斉彬は微笑みながら大きくうなづくと同時に謁見の時間は終わった。於一は自分の言いたいことが言えて、慣れね打掛けを引きずり、意気揚々とお城を後にした。忠剛はあまりの動揺に寝込んでしまったのだった。 そんな忠剛と菊本とは違い、お幸はじっと於一を見守っている。 「他人(ひと)は他人(ひと)です。なんと言われようと己を貫く力は上に立つ者には必要です。あの子は今、それを学んでいるのかもしれませんよ」 そう言って菊本を諭した。そこへ於一と同じ歳ぐらいの少女が入ってきた。 「姫様がいつも持っていかれる木刀をお忘れですが」 と木刀を入れた鞘を持ってきた。その少女は名を「いち」といい、菊本の孫娘であるが、幼い頃、はやり病で両親を亡くし、忠剛とお幸が我が娘同様に育ててきた。いちもお父様、お母様と呼び、慕い尽くしてきた。それは於一に対しても同じだった。それに性格が真逆なためか、二人とも馬が合い、互いを信頼していた。
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