序章

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序章

晩春の夜空に輝く美しい満月が白銀の光を放つ。山道を照らすその光は新時代を生きる希望となるのか、それとも黄泉の国に誘うのか、これら二つの思いが、ひとりの若者の脳内を交差する。  慶応四年(一八六八年)四月十一日、明治政府から『逆賊』という汚名を着せられた三人の男たちは、見窄らしい姿に身をやつし、岩がゴツゴツと張り出す険しい道を、ひたすら走り続けた。  線が細く、顔立ちの整った若者が、右隣で走る息の荒い男に声を掛けた。「慶喜様、少し休まれますか?」 「何を言うか、総介。此処で休んだら、戦傷者に、顔向けできぬ。彼らの辛さに比べれば、こんなの、屁でもない」 慶喜は、息切れをしながら毅然と答える。  この男は、今は亡き徳川幕府の第十五代将軍だった徳川慶喜だ。在職期間が僅か一年というなかで、数多の苦難が彼を襲った。  慶喜が、征夷大将軍に就任した慶応二年(一八六六年)は、亜米利加(アメリカ)と日米和親条約を締結してから、十二年目を迎えた頃だった。  王政復古を果たして、国内統一を目指す尊皇派と、欧米列強からの圧力に屈しない、富国強兵の思想を持つ攘夷派の運動が盛んになっていた。  これに対して、幕府は公武合体により幕藩体制をより強化した。  ところが、日本の根底を揺るがす出来事が幕府に届いた。  第十四代将軍・徳川家茂逝去。  その一報は、幕府崩壊への一歩を踏み出すこととなる。  これにより、武力行使で倒幕を果たそうと気勢を上げる薩長両藩に対して、土佐藩の藩主、山内容堂は政権を朝廷に返上することを進言したのである。  武力鎮圧を望む慶喜だが、内乱が勃発すれば沢山の尊い命を、それに付け込んだ、欧米列強の襲来を恐れて、武力から恭順に思想を変え、大政奉還を受け入れたのである。  しかし、絶対恭順を示す慶喜に皆が賛成したわけではなかった。特に、佐幕派の会津藩は、『打倒・薩長』と息巻いており、彼らの過激な思想が旧幕臣にも影響を与えた。  その後、打倒・薩長の御輿として担がれた慶喜は蟠りが残ったまま、錦の御旗を掲げる薩長と、開戦に踏み切った。
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