2.恋するアヒルの子

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 一つ頷くと、彼はそっと棚から離れて行った。  しばらくその背を見送って、改めて手に持っている本の表紙を見やった。そして、ふと気が付く。あ、昨日の人だ。同時に、記憶が鮮やかに色を持って、わたしの頭の中でそのシーンを浮かび上がらせる。 「この本なんだけど。どこにあったか、わかる?」  その日も、話しかけられたのは唐突だった。思わず声のした方を見ると、不機嫌そうな顏をした男子が一人。本を片手にこちらの返事を待っていた。 「あ、そこ。そこの棚の上から三段目。同じ作者の本が並んでるから、そこに」  分かりづらくは無かっただろうか。自分の説明の下手さに、ほとほと嫌気がさす。文を書いたりするのは得意だ。何度も見直せるから。でも、口で言うことは、やり直せないから苦手だ。これが文通だったら、とても流暢に話ができるのに。 「あった」  初めて、彼の笑うところを見た。ふっと微笑んで、本を棚に戻すと、わたしの座ってる椅子の近くにやってきて、こう言う。 「ありがとう」  なんてことない簡単な言葉だけの会話。だけど、なぜか長い物語を読んだような錯覚に陥ってしまう。何か言おうと顏を上げると、もう彼は図書室から出て行こうとしているところだった。同時に、香りが薄れていく。  あとで教室に戻ってから気が付いたことだけど、わたしと彼はクラスメイトだった。いつも教室の端でカーテンに隠れて寝ているので気が付かなかったらしい。
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