第1章

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 カルンシュタイン伯爵夫人の白い肩から伸びたしなやかな腕は、予想外に細く、繊細なガラス細工のように思え、触れてはいけないもののように思えたのだ。 「何故逃げる?」 「お許しください」  自分の感情がわからない。戸惑うシャナンは、そう答えるのが精一杯だった。 「ふん。あのつまらぬ噂を耳にしたか? 嫌われたものだな。貴女はその噂を信じるのか。まあ良い。では、私は目隠しをしよう。これで、『伯爵夫人の瞳』は見ずに済む。心置きなく顔を上げるがよい」 伯爵夫人は、さも楽しそうに、どこから持ってきたのか、布の紐を使い自分で目隠しをした。 「もうよい。顔を上げよ」 そう言われて恐る恐るシャナンは顔を上げた。 カルンシュタイン伯爵夫人の艶やかな焦茶色の豊かな髪。細い首が、肩にかけて優美な曲線を描いている。胸元の大きく開いた黒いドレスに包まれている肢体は腰が細くくびれ、豊満とはいえない胸は、どこか少女を思わせた。  落ち着きのある態度で、こんなに威厳をお持ちなのに、こんなにお若い方だとは……。 自分よりも年上と思っていた伯爵夫人が、年の頃がそう変わらないのではないかという事実に、シャナンは驚いた。 「見かけに惑わされてはいけない」  こちらを向いて微笑む伯爵夫人は、目隠しをしているはずなのに、シャナンの動揺した様が見えているのではないかと疑ってしまうほど、タイミングよくそう言ったのだ。  シャナンは伯爵夫人には目隠しなど全く意味が無いもののように思え、薄気味悪く感じたのだった。  落ち着かない。  シャナンは目隠しをしたままのカルンシュタイン伯爵夫人の視線を、はっきりと感じていた。ドレスを透かして生まれたままの姿を見られている感覚。シャナンの動悸は治まりそうもなかった。ドレスが触れ合うほど間近に、伯爵夫人は座っている。そのきめ細かな白い肌に、目が釘付けになり、無意識のうちに手を伸ばして触れたくなる。これが、魔術ではないというのであればなんであろうか。 「私は何も見えない。ワインを飲ませてくれぬか」  ソファにゆったりと腰掛け、目隠しした顔をシャナンのほうへ向けて、伯爵夫人が言った。  シャナンは言われるままに、テーブルに置かれたワインボトルを開け、ワイングラスに赤い液体を注いだ。  その間も、シャナンは伯爵夫人の視線を感じ、ボトルを持つ手が震え、こぼさないように全神経を手に集中させなければならなかった。
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