第1章

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 シャナンは闇夜に紛れ、教会の敷地に続くエッカルトザウ伯爵の城の庭へと忍び込んだ。忍び込むのは何年ぶりかではあったが、木立に隠れるようにある、塀の壊れた部分は昔と変わらなかった。 「父に会いたい」 幼い頃、その一心で城へ忍び込んでは実父、エッカルトザウ伯爵の姿をこっそりと盗み見ていたのだった。 後日、城に忍び込んだことがエアラッハ男爵夫妻に知れて何度か咎められた。育ての親、エアラッハ男爵に不満があったわけではないが、幼いシャナンには何故実の父親と一緒にいられないのか、城への出入りを堅く禁じられてエッカルトザウ伯爵夫人に毛嫌いされていたのか、理解できなかった。だから、養父母が困惑した表情でシャナンを見ることに後ろめたさを感じながらも、自分と血のつながりがある父の姿を追い求めて、城を幾度となくさ迷ったのだった。  だが、年頃になり、周囲の事情も飲み込めて自分の立場がわかったとき、エッカルトザウ伯爵夫人の憎悪の矛先が自分に向けられている理由がはっきりと理解できたのだった。その日以来、城へは行かなくなっていた。 そんなことがあり、城の警備が手薄な場所をシャナンは熟知していた。  シャナンは城の窓から忍び込み、カルンシュタイン伯爵夫人の休む居室の扉の前へたどり着いた。だが、ここまで来てシャナンは怖気づいた。片手が宙に浮いたまま、扉に触れることができない。 こんな夜更けに訪ねてみても、伯爵夫人に冷ややかな目で見られるだけだろう。 「何をしている」  冷たく低い声に、シャナンは飛び上がった。怖くて背後にいる人物の方を向けない。言い訳しようにも緊張してのどがざらつき、声も出なかった。 「若い娘がそのような姿で、出歩く時間ではない」  先ほどより、幾分柔らかな声。まるで子供を諭すような口調だった。自分を知っている者のように感じ、シャナンは少し安堵してゆっくりと振り向いた。  雪明りだけの薄暗い廊下に、自分より幾分背の高い旅装束の若い男が、歩幅一つ分ほどのところからシャナンを見つめていた。  男の服装は地味に抑えられていたが、優雅な立ち姿はそれだけで高貴な身分とわかった。焦げ茶色の長い髪を後ろに結わえ、雪のように白い肌に、真っ赤な唇が美しい。瞳は長い髪に隠れていたが、強い視線が痛いほどわかった。見知らぬ男のようだったが、どこか聞き覚えのある声。 「もう会わぬと言ったはずだ」
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