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そう、あれは間違いだった。神父様が嫌いなわけではない。素敵な人だとも思う。必要とされている、自分を選んでくれたというだけで嬉しかった。けれど、一生添い遂げたい人とは違うのだ。カルンシュタイン伯爵夫人に出会い、それがはっきりとわかってしまった。今まで、人の迷惑にならないよう、養父母を悲しませないように生きてきた抜け殻のような人生。それが、この瞬間のためだけに生きてきたとさえ思えるのだ。伯爵夫人とこうして見つめ合うために、ここにいるのだ。
「幸せを棒に振る気か?」
シャナンが見つめたその先の瞳は、優しく迎えてくれそうにもなかった。眉を寄せ、怪訝そうにシャナンを見つめ返している。
「進んで茨の道を歩こうというのか」
シャナンが黙ったままでいると、伯爵夫人は再び質問を投げかけてきた。シャナンの答えは一つしかなかった。
「私には、目の前の美しい薔薇しか見えません」
「私には夫がいるのだぞ」
「お側においていただけるのであれば、夫がいようと構いません」
嘘だった。伯爵夫人を独り占めしたい欲望でいっぱいだった。とり巻きの一人にはなりたくない。
「もうすぐここをお発ちになると聞きました。私も連れて行ってください」
「誰がそのようなことを。だが、良い頃合かも知れぬ。そろそろここを発つとしようか。だが、お前を連れて行くことはできぬ」
伯爵夫人はゆらりと立ち上がり、読みかけの本を椅子の上に無造作に放り投げ、寝ているシャナンにずいと顔を近づけた。
「私は悪魔なのだよ」
伯爵夫人の焦げ茶色の長い髪が、シャナンの頬に触り、薔薇の甘い香りが鼻をかすめた。長くたらした前髪の奥にある瞳が、薄暗がりの中で鈍く光ったように感じた。
伯爵夫人に見据えられた瞬間、シャナンは指先すら動かせず、息さえできなかった。心臓が凍りつく感覚。
『伯爵夫人は吸血鬼に違いない』
村の噂がシャナンの頭をよぎった。後頭部がじわじわと冷える。
伯爵夫人は若い娘を糧に生きる吸血鬼だというのか。もしそうであっても、悪魔でもいい。私をこの村から連れ出して欲しい。ここには、私の居場所はないのだから。
全身で畏怖を感じながらも、シャナンは目をそらさなかった。
「あなたにこの命を絶たれたとしても、後悔はしません」
「母君から授かった命を粗末にするものではない」
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