第1章

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 十六歳のシャナンには、既に夫となる人物がエッカルトザウ伯爵により決められていた。相手は、パウル・バートリ神父。  シャナン・エアラッハはエッカルトザウ伯爵の愛人の子。それは、公然の秘密だった。  シャナンは、母を知らない。母は東欧から来た美しい黒髪の踊り子で、エッカルトザウ伯爵に見初められ、まもなく、身篭って出産と同時に亡くなったのだ。不憫に思ったエッカルトザウ伯爵は、エアラッハ男爵にその娘を託した。不自由の無い生活だったが、シャナンは肩身の狭い思いをして育った。小さな村で、常に人目を気にして生きてきたのだった。  母と同じ、東欧から来た客に、シャナンは心穏やかではなかった。一度も顔を見たことが無い母に、思いを馳せ、シャナンはその東欧から来た客に一目会ってみたいと思ったのだ。  それは、ふとしたことで実現した。  シャナンが城の庭続きにある教会での礼拝を終え、小道を帰る途中、背後から声をかけられたのだった。 「シャナン・エアラッハ男爵令嬢か」  焦茶色の髪の貴婦人が、教会の影から、よく響く声で名を呼び、シャナンのほうへ近づいてきた。  カナーヌ・カルンシュタイン伯爵夫人!  噂通りの艶やかな衣装、威厳に満ちた態度。シャナンは思わず、声を聞いただけで顔も見ずに、身を屈めた。 「迎えに来た。今宵、我が元を訪ねるがよい」  カルンシュタイン伯爵夫人は、一言そういい残し、雪化粧の教会の裏へ、すうっと姿を消した。 シャナンは、幻を見たような気がした。それほどに、一瞬の出来事だった。 確かに、迎えに来たとこの耳で聞いた。その声は、何故だか懐かしい響きに聞こえたのだ。  会ったこともないのに、どうしてなのか。謎の言葉に、シャナンはカルンシュタイン伯爵夫人への興味が、急速に増していった。  その夜、言われるままにシャナンは城を訪れた。  門番は、カルンシュタイン伯爵夫人の名を告げると、すんなりと通してくれた。  案内された部屋は、客間の中でも一番豪華と思われる部屋だった。  シャナンが椅子の端に腰掛けて待つ間、静まり返った城内は、物音一つしなかった。  その静寂は、薄気味悪くさえ感じられた。 「待たせた」  続きの間の扉が開き、黒いビロードのドレスに身を包んだカルンシュタイン伯爵夫人が、足音もなく、シャナンの目の前に現れた。 「ようやく見つけた。シャナン・エアラッハ」  魔女かもしれない。
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