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シャナンは噂を思い出し、急に恐ろしくなった。伯爵夫人は、何故自分のことを知っているのか。
この場から逃げ出したい衝動に駆られたが、シャナンは足がすくんで立てなかった。
「傍へ参れ。どうした? 何を怯えている。心配するな。私は魔術を使えぬ。貴女の母上を存じているだけのことだ」
カルンシュタイン伯爵夫人はシャナンの考えを見て取ったかのように、そう言ってくすりと笑った。
それでもまだ、シャナンがその場にじっと座ったままでいると、伯爵夫人から歩み寄ってきた。
「お目にかかれて光栄だ」
伯爵夫人は、紳士が行うように、シャナンの手をとり、うやうやしく口づけをした。
シャナンは思わず顔を赤らめ、その手を引っ込めた。その口付けには、挨拶以外の情を込めたものが感じ取れたのだ。
カルンシュタイン伯爵夫人の琥珀色の瞳を見てはいけない。
噂を鵜呑みにしたわけではないが、シャナンは、ずっと俯いていた。カルンシュタイン伯爵夫人は、シャナンのドレスに触れるほど傍に寄り、隣に腰かけた。相手は女性なのに、何故こうも胸が高鳴るのか。
「……私には婚約者がいます」
「だからどうしたというのだ」
カルンシュタイン伯爵夫人は、そんなことは意に介さないとでも言うように、含み笑いをした。シャナンはそれでも、毅然とした態度で答えた。
「不貞はできません」
「不貞? 不貞とはどういう行為か教えてほしいものだ」
「それは……」
伯爵夫人の意地悪い質問に、シャナンは再び顔を赤らめた。異性ではない相手に、それも伯爵夫人に向かって、不躾で失礼なことを言ったと後悔した。
だが一方で、殿方と二人きりで過ごしたとしても、このような心臓の高鳴りは感じられないのではとも思った。
「説明できぬか? では、不貞はできぬと言われても、わけがわからぬ。……顔を上げよ。なぜ先ほどからずっと俯いたままなのだ?」
「このままで……お許しください」
シャナンは本能的に伯爵夫人を避けた。
「では、私が貴女の足元にひざまずけば、その顔を拝めるのだな?」
「伯爵夫人がそのようなこと……」
伯爵夫人はソファから降りて足元に屈もうとした。シャナンは慌てて、手を差し伸べ、それを制したのだが、伯爵夫人の腕に触れた途端、手をまたすぐに引っ込めた。
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