第1章

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 伯爵夫人の熱い視線。ただ傍にいて座っているだけなのに、伯爵夫人をこんなに意識してしまうのは何故なのか。しかも女性である伯爵夫人に、不貞はできないなどと口走ってしまった。 突拍子もない無作法を、再び思い出したシャナンは、一層赤面し、ワイングラスを持つ手に汗がにじんだ。 「どうした、ワインをくれぬか」  促され、伯爵夫人の口元にワイングラスをゆっくりと運んだ。ワインの色に負けない真紅の唇が、グラスの縁にあたる。 シャナンはそっとワイングラスを傾けて、赤い液体を、伯爵夫人の口中に注ぎ込んだ。こくんと細い喉が動く。薔薇の花弁のようにふわりとした唇がワインで濡れ、艶かしい。伯爵夫人の仕草一つ一つが、シャナンを惹きつけて動揺させた。 胸で鳴り響く早鐘は、そんな感情を押し殺そうとすればするほど、反抗的に鳴り響く。見てはいけないものを見ているような気分になったが、シャナンは伯爵夫人に見とれてしまい目が離せないでいた。 唇を重ねたい。  パウル・バートリ様がいるのに、なんてはしたないことを。それもご婦人に。  湧き上がる欲望を慌ててかき消し、制御不能になった早鐘を悟られまいと、シャナンはワイングラスを持つ手が震えないよう、必死に手に力を込めた。  伯爵夫人はワイングラスを持っているシャナンの腕を掴み、グラスを口から離した。 「震えている。私が恐ろしいのか」  違う。そう言いたかったが声にならない。頭を強く横に振ったが、伯爵夫人は目隠しているのだから見えるはずがなかった。  ひんやりとした手。伯爵夫人の白く繊細な指が、シャナンの腕を掴まえている。  一瞬でも、伯爵夫人のことを淫らな想像で汚してしまうなんて。  恥ずかしさで一杯になり、シャナンの瞳が潤んだ。 「お許しください」  声までも震えていた。何がなんだかわからない。どうしてしまったのだろう。自分が自分でなくなったようだ。意味のわからぬ激しい感情が、荒れ狂う嵐のようにシャナンを襲った。泣きじゃくる幼子のように涙が溢れる。 「手を、離して――」  シャナンは懇願した。なんにしても、自分をこんな風にしてしまったのは伯爵夫人だ。一緒にいたら、正気ではいられなくなる。やっぱり伯爵夫人は魔女に違いない。シャナンはそんな風に思った。
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