第1章

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 伯爵夫人に触れられたことで、一層、体は火のように熱くなり、全力疾走直後のように息が苦しかった。涙は止め処もなく流れ、体中で伯爵夫人に反応してしまうのだ。 この不快な反応の全ては、伯爵夫人のせいだ。一刻も早く、この場所から逃げ出したいと、シャナンは祈るような気持ちでいた。 「そなたの母は……いやよそう。そなたには関係のない話だ」 伯爵夫人は、興奮状態のシャナンを前に、ふっと寂しそうに呟き、「無作法を詫びる」と言って、つかんでいた手を離した。 伯爵夫人が何を言おうとしたのか、シャナンには皆目見当がつかなかった。ただ、その声には、落胆の色が滲み出ていたことだけはわかった。 手を離されたことで、シャナンは少し落ち着きを取り戻した。 「最後に、顔を見てもよいか」  伯爵夫人のどこか悲しみに満ちた声音に、シャナンは胸が苦しくなり、思わず、はいと答えていた。  噂話が再び頭をよぎったが、そんなことはどうでもよくなっていた。伯爵夫人の悲しい声は聞きたくない。ただそれだけだった。  伯爵夫人は目隠しをしていた布を自ら解いた。  長い睫毛がゆっくりと持ち上がり、瞳が開かれた。シャナンを見つめる琥珀色の瞳。宝石が二つ、神秘的な光を宿し、そこに埋め込まれているようだった。その瞳はシャナンを優しく包み込み、愛でるような眼差しを注いでいた。 華やかさの中にも威厳のある大輪の真紅の薔薇。  今まで聞き知っていた妖艶な魔女的なイメージとはまったく違うカルンシュタイン伯爵夫人に、シャナンは釘付けになっていた。 「美しく育った」  伯爵夫人の声で、シャナンは我に返った。  美しい伯爵夫人にそのように言われるのは、気恥ずかしく、シャナンは俯いてしまった。 「母君に生き写しだ」  そう言って寂しそうに微笑んだ伯爵夫人は、すっくと立ち上がってシャナンに背を向け、 「もう会うこともないだろう」  と、冷淡な口調で続けた。 伯爵夫人の態度が一変した。人を従える、威圧的な態度。 シャナンが唖然としていると、「客人のお帰りだ」と、伯爵夫人は通る声で言い放ち、使用人を呼んだ。そして、シャナンの方を振り返りもせずに、部屋を立ち去った。 結局、伯爵夫人は何の用があったのだろうか。声をかけそびれたシャナンは、城を出るしかなかった。
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