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夕食は喉が通らなかった。恋焦がれる少女のように、食事が進まない。あまりの妄想が明日の緊張へと繋がって食欲を失わせていた。それでも夜、布団に入った時は、新たな妄想によって候補が数限りなく挙げられ、一向に眠気が来ないまま、お構いなしに夢想した。
そして朝になっても、興奮は冷めない。きちんと持続をしていて、自分は今この世で最も幸福を噛みしめている男なんだろうな、とうっとりする。
さあ、まだ見ぬ女の子の元へ、と自転車を走らせ、やっぱりツイてるんだと三つ目の信号を渡っている途中で、彼は命を落とす。
実に実に気の毒な話である。この話のどこに幸せな要素があるのか。あるとすれば、必死に探すとすれば即死出来たことだろうか。
いやいやここで話は終わらない。折り返し地点といったところだろう。ここまではまだ、彼は不幸だ。ここでは、という言い方は、語り部としての意見だ。そう、語り部はこの話は幸福な男の話だと思っている。あなたはどっちだと聞いておきながら、既に答えを出してしまっているのはいかがなことかと思うけれど、だからこそ、死んだことが幸福だなんて不謹慎だと思われるからこそ、俺は思う、俺は、幸福だったと思う。
念押ししておきたいことがある。この話は、中島俊之が亡くなる話だ。どうしたって最後には死んでしまうお話。これは人生を全うするという意味ではなく、中学生の内に死んでしまうということだ。この事実は変わらない。これは、男子中学生が死んでしまう話なのだ。
こうして念押ししたのにはもちろん理由があるし、意味がある。無意味なことをやるわけがないだろう、と言っても話し下手な語り部だ。どこかに無駄があるかもしれない。だけれど、その無駄こそが、案外考えを改めさせたり、周りを見渡させたりすることがあるものだ。
それでは話の続きを。ここからは仮定の話をしよう。誰もが思わずにはいられない願わずにはいられないもしもの話。こうしておけばああしておけばと結果論で話してしまう話。
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