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 赤城山DownHillのGoal地点の駐車場には葛西3姉妹とそれぞれの愛車がある。  黒髪で片方の目が隠れているサクラ、緑髪のポニーテールのヒマワリ、オレンジのツインテールのモミジがいた。  クルマは1台目がBonnet以外すべてVeilSide製Aeroを身に着けた黒いJZA80型SUPRA。2代目がJZA80と同じくVeilside製のAeroを身に着け、HeadLightは固定化されて、TailLightはB-BLOOD製のClearTailに、RearにあるEngineRoomのハッチをPhoenixPower製のEngineRoomSpoilerに交換し、TOMS製のエアインテークを身に着けた蛍光GREENのSW20。2台と同じVeilsideのAeroを装着しHeadLightが黒縁になっているORANGEのALTEZZAが止まってある。3台ともWheelはRAYSのGramLights57Cを装着し、それぞれJZA80がSILVER、SW20がG REEN、ALTEZZAがORANGEになっている。  SW20型MR2とは日本初MidshipSportsCarであるMR2の2代目だ。1989年にデビューする。  先代はCorolla/Sprinterの兄弟車だったのに対して、このSW20型はCorona/Carina/Celicaの兄弟車となり、Bodyは初代・AW11型より大きくなった。EngineはTurboの3S-GTE(前期型では225馬力、後期型では245馬力)とNAの3S-GE(前期型では165馬力、中期型では180馬力、最終型では200馬力)が用意された。ただ、Power競争に巻き込まれたため、先代の「運転を楽しむクルマ」より「運転を鍛えるクルマ」になってしまった。  また、初めての試みとして「サスペンション連動フォグランプ」が搭載された。 しかし、増大した重量やPowerに対して足回りの貧弱さや前輪設置不足からくるHandlingResponseの悪さ、LSDが設定されていないなど欠点が大きい車になってしまい、ドリキンこと土屋圭市でも乗りこなせず、評論家から「危険なクルマ」と言われてしまった。 しかし、何度もマイナーチェンジしていくことで足回りは1から見直され、PureSportscarとして多くのDriverに再評価されていくが、同時にバブル崩壊によるSportscar不調が始まったため販売台数を減らしてしまった……。  先代のような成功ないものの、今でもFerrariを彷彿させるDesignやSPECの高さから今でも人気が高い。
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