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「ふぁ、あ……終わった」
「お疲れさまです藤川さま」
「その呼び方何よ……」
机の上にあるパソコンをカタカタならしていた手を頭上に伸ばし、背をそらす女。
彼女は差し出されたマグカップを受け取る。
中身は珈琲。
色合い的にミルクも入っているようで、彼女にとってはありがたいことだ。
彼女の名前は藤川綺(フジカワアヤ)、出版社に勤める編集者である。
ポニーテールにしている黒髪は、おろせば胸元辺りまではあるだろう。
パソコンと向き合っていたせいで疲れた黒目は、しばし瞼の裏に引っ込む。
藤川は、珈琲を入れてくれた同期の女────堂本香苗(ドウモトカナエ)────に礼を言ってから甘めの珈琲に口をつけて深く息を吐く。
「そう言えば、綺ってあれ読んだ?」
「あれ? ……ああ、“砂の中のガラス石”? もう読んだよ」
「さすが! いいなぁ、綺は。あんなイケメン担当したいよ」
「たしかに、格好いい人みたいだね」
「あ、そっか。綺は会場に行ってないんだ」
“砂の中のガラス石”。
ある恋愛小説で、一週間前の新人賞をとった作品だ。
いじめられる女の子と、人気者の男の子の物語。
初めは助けたくても助けられなかった彼が、最終的には女の子を助けて恋人になり、いじめっ子は更正する話だ。
なんともありきたりな筋書きで、陳腐な話だろうと思うのが大多数だろう。
しかし、そのありきたりな作品が新人賞をとった。
この作品を読んだ人物は口々にこう語る。
すごくリアルだ、と。
藤川は今さらながら、会場にしっかり行っておくのだったと後悔している。
なにせ彼女は三日前に命が下り、堂本の言葉から分かるようにその新人賞受賞作家と組むのだから。
新人賞受賞作家、小野寺蒼(オノデラアオイ)。
ハニーブラウンの髪に、髪色と同じ瞳。
会場に行った先輩や堂本から聞くに、背は高めで細身、ほんわかした話し方で優しそうな人らしい、一言で言うなら格好いいとのこと。
彼は会場で受けたインタビューで、こう言っていたらしい。
『僕はありふれたいじめの話題から、ありふれた恋愛小説を作っただけです』と。
リアリティがあって引き込まれる、思わず感情移入して泣いた、といった感想に対しても小野寺は、リアリティがあるとは最高の誉め言葉、とにこやかに言っていたらしい。
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