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十分ほど前に会社をそそくさと後にして、藤川は歩道を歩いていた。
早く彼女から離れたかったこともあり、その足はすたすたと人混みを掻い潜る。
この間、新人賞が発表された。
生憎と別件の仕事が立て込んでいて、現場に行くことは叶わなかったが、その内容だけは、人伝だがきちんと把握している。
主に、先輩や部長の神崎進(かんざきすすむ)という人から聞いたことだが。
今になって思えば、仕事を後回しにしてでもしっかりと行っておくんだったと悔やまれる。
何せ私は、これからその新人賞受賞作家と組むことになるんだから。
よく先輩たちは、次作をうちの出版社であげてくれるよう説得できたものだ。
もっともっと、多くの人間が彼の次作を期待し、自社であげてくれるよう説得に行ったはずなのに。
新人賞『砂の中のガラス石』の著者、作家にして端正な顔立ちの小野寺蒼(おのでらあおい)。
彼は、インタビューを受けた際に、こう言っていたらしい。
「僕はありふれたいじめの話題から、ありふれた恋愛小説をつくっただけです」
と。
確かに、王道とまではいかないにしろ、極一般にありふれたテーマであり、それを題材にストレートに書く人も少ない。
それに消費者も、概要を見て手に取る人間もかなり少ないだろう。
それでも、新人賞をとった。
おそらく少数の読者の口コミで広がりをみせ、次々と店頭から消えていったのだろう。
そして、審査員や読者は、口を揃えて言うのだ。
「ありふれているテーマのはずなのに、妙にリアリティがあって引き込まれる」
「思わず感情移入して、泣いてしまった」
「何度も読み直して、何度も切なくなった」
と。
そして作者、小野寺蒼は言うのだ。
「リアリティがあるとは、最高の褒め言葉です」
と。
爽やかに、にこやかに言うのだ。
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