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それから十年間、世界の核兵器保有国は核弾頭、兵器級ウラン、プルトニウムの廃棄作業に取り組んだ。それ以外の国も官民を挙げてその作業に協力。
原発の廃炉作業でノウハウを蓄積していた日本のゼネコン、プラントメーカーは核弾頭の解体、内部の核物質の取り出しを請け負い莫大な利益を上げた。これによって日本の経済成長率は30年ぶりにプラスに転じた。
そして21世紀の終わりまであと数年となった、その年、中国に残っていた世界最後の核兵器である大陸間弾道弾の解体が終了する日が来た。長崎原爆投下の日である8月9日を選んで、その解体作業は公開された。
当該ミサイル基地には世界中からマスコミの記者が招待され、核弾頭の解体作業が全世界にライブ中継された。世界中で何十億の市民が、それに見入った。
発展途上国ではやっと普及し始めた3D映像テレビで、先進国ではウェアラブル・コンピューターの立体画像で、人々はその歴史的な瞬間をリアルタイムで見つめていた。
日本では広島、長崎のそれぞれの平和記念公園にイベント会場が設営され、縦20メートルの巨大スクリーンが設置された。広島の会場には日本の内閣総理大臣はじめ多くの閣僚が列席し、旧核保有国の国家元首も臨席した。
それ以外の国の国家元首や駐日大使は長崎の会場に列席し、同じく巨大スクリーンに映し出される、中国での核弾頭廃棄作業を見守った。
宇宙服のような放射線防護服を着た十数人の作業員が、地面に横たわる大型ミサイルの先端から弾頭部を取り外す光景が、大きくズームアップされた。弾頭から核爆弾が取り外され国連を表す「UN」という白い文字が描かれたコンテナーに収納された。
世界最後の核兵器が解体され、国連に引き渡された瞬間だった。世界中の大都市で大地を揺るがさんばかりの大歓声が沸き起こった。
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