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ざぁっと、風が凪いだ。
突如吹き荒れたそれによって身を躍らせる桜花弁を茫然と見ながら、少年は小さく呟く。
「なん………で…」
「いったでしょう? それを信じなかったのは、貴方自身」
ぞくりと、背筋を冷たいものが駆け降りる。桜吹雪の中央で静かに佇む少女を見た彼は、無意識に足を引いていた。
そんな少年に構うことなく、少女は紅と蒼の瞳をそっと閉ざす。
「―――ここは、無限桜(むげんざくら)の生家(せいけ)。…つまり、植物の住まう世界よ」
少年の脳が、一瞬にして冷静さを失った。
「え……ムゲンザクラ…?」
「無限桜は本来、人の世にあってはならない存在」
淡々と事実だけを述べる少女の纏う薄桃の色をした着物の裾が宙を舞う。
「強すぎる力は、……その世界の均衡を崩してしまうから」
赤みがかった白銀の髪がゆるりと揺れた。少女の瞳が少年を射竦める。
「貴方、名前は?」
「……神倉(かみくら)、暁(さとる)…」
そう、と呟いた彼女は、一瞬の空白の後に忽然と姿を消した。
「…れ……?」
辺りを見回す暁の背後で、巨大な椿の花が彼に襲い掛からんと飛びかかる。
「わ……っ!」
それに気付いた暁がもう逃げるには手遅れだと思わせるほどの勢いで、椿は一斉に少年の左胸へと向かい。
「やめなさい。……主(ぬし)を怒らせるようなことをしていて、いいのかしら?」
少女の言葉を聞いた途端に大人しくなった椿の花を見ながら、暁が深いため息を吐いた。
「大丈夫? …怪我は、ないみたいね」
「あ、ありがとう……」
「いいえ。……あの子たちも、気が動転してるだけでしょうから。あまり怒らないであげて?」
鈴を転がすような軽やかな声でいわれ、無意識に頷く。
「名乗り遅れたわね。わたしは月解彩羽(つきときいろは)。月解家三十七代目の、烙印師よ」
ふと、少年が聞き留めた名を紡いだ。
「つきとき…?」
「えぇ。まぁ、人間界では名字が珍しいだけの普通の家だから。裏でこんな仕事をやってると知っている人なんかいないわ。今までも今も、…これからも、ね」
ふと暗く沈んだ少女の表情を認めて、暁が小さく呟く。
「え、人間界ではって……ここは?」
「だから最初にいったでしょう? 植物の住まう世界だと」
そんなものがあってたまるか。
一瞬にして口を突いて出そうになった言葉は、しかし音になることはなかった。
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