夜の散歩

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 ベッドを抜け出した。温い場所から出たばかりの素足に床板はキンと冷たい。そこはある種冬の冷たさで満ちている。素足の底が床と同じ冷たさになるのを待って、香苗は足音をたてないように、そっと歩いた。こっそり自分の部屋を出る。  キシキシと鳴る床は満月の深夜には少しうるさい。普段なら車や掃除機の唸り声とか隣の犬の吠える声とかにかき消されてしまっているというのに、今はここぞとばかりに囁いている。いったい何のために。  深夜の散歩に出かけるのは今日が初めてじゃない。もうすっかり慣れたもので、大きな音をたてないように歩くのも、靴下を穿かないで靴を履くのも、そっと重いドアを閉めるのもお手の物だ。こんな事が出来るのはきっとクラスでも自分くらいなものだろうと香苗はふんでいた。黄色のズック靴は布がない分ゆるく、足が随分重く感じる。この感触を、香苗は愛していた。荷物は一箱のキャラメルで十分である。玄関の重い扉を開けて、夜に踏み込む。街灯の白い光をアスファルトが青く反射している。大人が支配した時間は終わりなのだ。しんと静まり、空気の音が響く世界はもう香苗の物だ。  香苗はもう嬉しくなって、脚に力を込める。高く飛び、ぐんっと体が宙に舞う。二階ぽっちの上に乗る屋根などは随分下のほうに見えた。そうしてまばらな光を放つ街を見下ろす。この時、靴が脱げないよう注意しなければならない。前に一度ここで脱げてしまい、捜すのにとても苦労したのだ。横着で湿ったままの短い髪が風を受けてバチバチ鳴る。着地地点は決まっている、今日下校途中で見つけたヤマネコの家である。  坂の上から緩やかに広がる木々の群れに、香苗はざあっと音を立てながら沈んだ。  重なり合う葉の作る闇の中に、ぽんと浮かんだ灯りがヤマネコの家だ。香苗は暗闇の恐ろしさに内心ドキドキしながらオレンジの光に近づいて行き、やがて小さな扉の前に着くと一度えへんと咳払いをしてから扉をノックした。家の中でコトコト音がしてから暫くすると、傷んだ扉がゆっくりと開いた。扉を開けたヤマネコは三日月のような目をまん丸くした。
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