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近藤勇終焉の地と永倉新八墓所
流山で大久保大和として官軍に出頭し、正体がバレて捕らわれた近藤勇が斬首されたのが、中山道の板橋宿である。
土方は、勝海舟と会談し、近藤の助命を依頼するが間に合わず、近藤は斬首されてしまった。
このあたりの詳細は、いまだによくわかっていない。
その首は京に送られ晒し首にされたが、現在は行方不明である。
胴体は、遺族が密かに持ち出し、以前紹介した龍源寺に埋葬されている。
この墓所は、慰霊の意味をこめて、明治九年永倉新八が建てたものである。
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