第1章

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「そろそろシーズンに入るから…そう、ちょくちょくは会えんようになるなぁ…」 「…うん」 知ってる。大会スケジュールも、もうすぐ矢代が集中してトレーニングに入る時期なのも。 「…そんな顔。しなさんなって」 「ごめん…」 (恋人でもないのに…ね) 「アキ。……真面目に、俺に義理立てしなくてええから…」 「…うん」 ちょっと遠慮がちに笑ってみせる。 この三年間、アキが矢代以外、誰とも関係を持っていないことを、矢代は感づいているようだった。矢代のほうはどうなのか、アキには全くわからなかったが。 他の男と遊んでも構わない。恋人が出来たら教えてな。と、初めの頃から言われていた。やはりそれは、自分もそうするから。と、いう意味だったのだろうか。彼ほどの男が、自分以外とまったく関係してないとは思えない。 『俺、そういうの鈍いタイプやから。ゆーてな。人の恋路を邪魔するつもりないし、アキには幸せになって欲しいしな』 『でもアキに恋人できるまで、気が向いたら俺の相手してくれへん?』 優しく微笑んで言うから、最初は遠まわしな告白かと思った。 でも、違った。 言葉通り、なのだ。 ――すべてが。 アキも矢代も完璧にフリーで、お互い気が向いたときに会っている。でも、それはタテマエ。毎年矢代がシーズンオフになるのを、アキがどれだけ待ち焦がれているかなんて、矢代が知るはずもない。 「大丈夫。俺はテキトーに暮らしてるから、忍さんの空いたときに…また連絡してよ」 「じゃあ、とりあえず再来週の金曜、予約な」 「え?」 「再来週の金曜。店に迎えに行くから。夜は体、空けとけ」 「…うん」 (俺が寂しそうにしたから…気を使わせちゃった?) 「そや。ちょっと早めに行くから、久しぶりに俺の好きな曲、弾いてくれへん?」 「ジョージ・ウィンストン?」 「おう」  白いタオルで髪の水気を拭き取りながら、爽やかに笑う。――罪な男。 「わかった。練習しておくよ」 少年の頃から憧れ続けた初恋の相手と、セックスフレンドになってしまうなんて、なんて因果だろう。 あのまま、再び出会うことなくただのファンでいられたなら…こんな想いはしなくて済んだのに。 矢代に初めて会った、あの福井県での大会。中学生だった自分がピンクのバラを楽譜に包んで渡したエピソードは、誰にも話していない。もちろん、矢代本人にも。 (インハイ出たことは…言ったけど)
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