第1章

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   アキ 「ねぇ。あんとき、何て言ったのさマスターに。俺、絶対クビになると思ってたのに、何にもお咎めなしだったんだぜ? おっかしいよ」 「んー…何て言ったんやったかなぁ」 「まーた、そうやってトボける。…忍さん、仲いいし、実はマスターともデキてたりして…」 「…なんでわかったん?」 「……マジかよ?」 「ん? 嘘」 「このやろっ…」 笑いながらベッドで戯れる二人は、あのバーで出会ってからすでに三年の時を経ていた。いつも通りに金曜の夜に待ち合わせ、行きつけのホテルでひとしきり燃えた後、何気ない思い出話から第一印象の話へと流れ、出会い頭のアクシデントを懐かしく語らっていた。 「ちょ…んっ…んん……ぁ…ん…なに? …もう一回?」 「…アカンの?」 「んん。いいよ…」 一見ラブラブな二人だが、決して恋人同士というわけではない。 「アキ」 「ん?」 「来週は会えそうにないんよ。ごめんな」 「そう。わかった。…じゃ、来週の分もしてってよ。俺、最近甘やかされてるから、二週間も忍さん無しじゃ溜まっちゃう」 「別に…アキが俺に義理立てする必要も、ないけどな」 暗に他の相手を探せと言われて、アキの表情が一瞬だけ曇った。 「そう…だね」 「でも、ちゃんと相手は選べよ? いろんな奴がおるから」 「わかってる。ねぇ…いいから、抱いてよ」 自分以外の男と寝ても構わないと言われ、その上、真面目に相手の選び方まで心配され、アキは堪らない気持ちになった。 どうせなら、体だけの関係と、ドライに割り切ってくれたらいいのに。 そうしたら、自分だって気持ちを残したりしないのに。 この三年。アキは矢代以外の男と関係を持っていない。 真性のゲイで、抱かれるほうを好む自分は、正直パートナーを選べるほど恵まれてはいない。だから自分を好いてくれる人なら、誰とでも付き合ってきた。 ――暴力癖のある男。変態趣味のある男。詐欺師まがいの男。 結局、どの男とも長くは続かず、かといって一夜かぎりの関係は、好きになれなかった。 行為の後、ひとり取り残される淋しさに…耐えられないから。 一夜の恋人を求めるオフェンス側の男は、たいていスッキリしたらさっさと帰ってしまうか、寝てしまう。恋人でもない相手のケアなど、する気もないのだ。 ――でもあの日、三年前のあの夜。 彼が現れたのだ、ピアノを弾くアキの目の前に。
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