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矢代忍――。中学時代から陸上競技に興味を持っていたアキは、スポーツ専門誌で初めて彼の存在を知った。当時、高校一年生だった矢代はその頃から関西の大会では敵なしと言われていた。
『西の天才、矢代忍。東の神童、渡辺貴弘との初インターハイ! 前代未聞の一年生対決に注目!』
そんな見出しで始まる文章に釘付けになり、大会当日はその年の開催地、福井県の競技場まで足を運んだ。
――ひと目惚れ、だった。
本番の緊張を感じさせない、無邪気でおおらかな笑顔。スタートポジションから観客に拍手を求め、気分が乗ってきたところで助走に入り巧みなステップと、大柄な体躯を生かしたダイナミックなスイングを惜しみなく見せてくれた。
彼の手から飛びだした槍が、美しい放物線を描いていた。
会場が大きく沸いた大会新記録で優勝決定かと思いきや、その後に投げた渡辺の記録のほうがわずかに上回り、矢代は二位に終わった。
表彰式を終え選手用の通路を戻ってくる矢代に何か渡したくて、アキは隣の席に座っていた女性に頼み込み、その人が用意していた花束からピンクのバラを一本だけ譲ってもらった。引き抜かれたバラを、ちょうど手帳に挟んで持ち歩いていた楽譜で包み、矢代へと手渡した。観客席からみると、通路はかなり低いところにある。それでも矢代の長身と長い腕のおかげで、ギリギリ手渡すことができた。
『おおきに。ありがとう』
そういって、目尻にシワの寄る人懐こい笑顔を見せてくれた。
そう。あのとき、間違いなくアキは恋に落ちていた。
「俺ね…あの日。店で…忍さんに…ぁ…会ったとき…」
「うん? …何?」
「ンっ…あぁ……ん……うう…ん。…なんでも…ない」
「…気が乗らない?」
「違う。ごめん…なんでもないんだ。…続き、しよう?」
「アキ?」
「ん?」
「なんかあったら…言ってな?」
「…うん」
矢代は優しい。そして、その優しさは時として酷く残酷だと、アキは思う。
「あっ…んんっ…忍さんっ…」
「アキは…ココが弱いなぁ…ホンマに」
「ダメっ…そんなしたらっ…っちゃうからっ」
「…ええよ?」
「ヤダっ…ねっ…も…もうっ…れて」
「うん? …何? アキ」
「…れてっ」
「なんで…アキはおねだりがよう言われへんの?」
「意地悪…言うなっ…よ」
「三年も付きおーとるのに。ホンマ、擦れなくて可愛いね」
「バカ…ぁ…はやく…して……れてって」
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