第1章

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 鈴の音に、女将が驚いてこちらを向いた。俺が鞠を手に取っているのを見ると、安堵したように、また御形と何か話しをしていた。  一つ、古い鞠がある。ケースの中だが、これは異質だ。水の入ったペットボトルを手に取ると、鞠に向かって手を伸ばした。  赤い着物を着た少女。赤い鼻緒の下駄。物なので、記憶は少ないが、どうも少女はこの鞠を残して行方不明になったのではないか。 「黒井、離れの部屋だ」  御形が、鞠を凝視している俺を引き離すように腕を引っ張った。 「なあ御形。あんなに供養に鞠が来ていたのに、この鞠は、どうしてここにある?」 「この鞠だけ、毎年、供養されて、供養が終わると返される」  形見のような品なのだ。なのに、何故、展示されている? 「御形、この鞠はどこにあっても、この場所に帰るのか?」  女将がこちらを凝視している。霊能力者嫌いのようだ。拒絶されることには慣れているけれど、目は言葉よりも雄弁だ。どんなに取り繕っても、ここの居心地は悪い。 「そうだ」  ならば、過去、この場所が何だったのか後で見ておこう。今は、女将の視線が怖いので離れへと向かった。  廊下まで高級、離れは、俺にとっては場違いなくらいの部屋だった。  桐の内風呂があり、庭に面して、小さな露天風呂もある。居間と寝室とが分かれていて、荷物置き場のような部屋まで付いていた。 「女将も悪い人ではないのだけれど、何度も霊能力者には騙されたから」  仲居がきて、お茶と茶菓子を置いて行った。仲居は部屋と建物の説明をしながら、興味津々に、俺と御形を見比べていた。  暫くすると、仲居が小さなおにぎりも持ってきた。 「ありがとうございます」  御形が、爽やかに笑顔を返す。 「お客さん、いい男ですね」  仲居が真っ赤になって帰って行った。 「毎年、この季節の早朝に鈴の音と、鞠をつく音、手鞠歌が聞こえてくるのだそうだ。何度も霊能力者や、祈祷もしたが、無くならない」  先ほど見た鞠の古さからすると、六十年前あたりだろうか。女将の祖母の代あたりなのかもしれない。 「害は無いのか?」  害が無いのなら放っておけばいいのだ。 「否、子供が来ると厄介で、鈴の鳴る日は、子供が山で遭難したり川で溺れたり、風呂で溺れたというのもあった。基本、子供が一人で居なくなって大騒ぎになるのだそうだ」  それは旅館としては、困るだろう。 「この旅館は、この季節は子供を宿泊させない」
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