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1983年2月11日、金曜日、午前1時11分。
場所は大阪のとある病院。
私は産声を上げずこの世に誕生し、先生にお尻を叩かれ、初めて産声を上げた。
そして、【可奈】という名前をいただいた。
2歳になる頃、父の仕事の関係で、広島に引っ越す事になった。
兄弟は3人で、7つ上の兄、5つ上の姉、私は末っ子だ。
私の家族は普通のアパートで5人暮らし。
家の中にある階段を上るのが、その時の夢でもあり、今の夢でもある。
幼少の頃は母にべったりで、保育所に着いても母から離れようとしない。
保育所の鉄の門に近付くにつれ、泣きそうになり、門を越えると大号泣。
そんな日々が1週間続いた頃、態度がいきなりでかくなった。
同じ組の子を引き連れ、先頭に立っていた。
今となれば怖くないが、2月の節分の日。
鬼がやって来て、本当に殺されるんじゃないかと素敵な勘違いをしていた。
ピアノの下に隠れ、それでも不安だから先生の所へ行きたい。
だがピアノの下から動けない。
「鬼は~外って言いながら豆を撒いたら、鬼さん出て行くよー!」と先生が大声で言った。
ほとんどの子が泣いている。私もその1人。
事前に配られていた豆は、私の小さな手の中にしっかりある。
鬼の近くに居る男の子達が泣きながら豆を撒いた。
すると、鬼は出て行った。
男の子達が豆を撒いてくれたおかげで、鬼退治ができた。
私は涙を拭いながら、そっと手を開いた。
豆ってすごいな・・・。
そう思いながら豆を食べた。
豆を食べたら二度と自分に鬼が来ないと信じてさ。
5歳の頃、耳が痛くなり、中耳炎になった。
母は隣町まで自転車を漕いで耳鼻科に連れて行ってくれた。
毎週毎週・・・だが後遺症で今も耳鳴りが止まない。
母は、家事・育児・仕事、全てがいつも完璧なんだ。
そして、母の言うことは、いつも純粋で、嘘偽り無い。
だがこの先、そんな母を何度も裏切る事になる。
小学校の4年生になるまで、父とお風呂に入り、母に髪を結んでもらっていた。
4年生を境に、1人でお風呂に入るようになり、自分で髪を結ぶようになった。
後から聞いた話だが、父も母も寂しく、切なく、また、成長したんだなと思ったらしい。
それを聞いた私は、同じ感情に曝された。
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