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「あーくだらない」
私は今度は、声に出して言った。
隣の馬鹿夫がやっと私のほうを見て、驚愕の表情になった。
目が今にも飛び出しそうなくらい見開いて、腰を抜かしそうになりながらへろへろと立ち上がり、二杯分の代金を置いて無言で出ていった。
置いていかれた女もただならぬ空気を察知したらしく、慌てて後を追う。
なにか、陳腐な劇でも見せられている気分だった。できるならば冗談だと言ってほしかった。あんな情けない男が、四年も一緒に暮らしてきた男だなんて。
「あの……」
私はおずおずと言う。
なにしろ、こんな小洒落た飲み屋に連れてきてもらったことなんてないのだ。バーの勝手も、酒の種類も、なんにもわからない。
「何でもいいので。さっぱりしたカクテル、作ってもらえますか?甘いのばかり飲んでたら喉渇いちゃって」
「かしこまりました」
マスターは言って、なにやらよくわからないリキュールを調合し始める。
カランと入り口の扉が開く。
OL風の女性だった。待ち合わせだろうか。一人だろうか。想像しながら、私はカクテルができるのを待つ。
夜のバーでは、きっとこんなふうに幾度も幾度も、陳腐な劇が繰り返されるのだろう。そしてその度にこの物静かなマスターは、じっと物語のゆく末を見守るのだろう。
私の前に、サイダーみたいな透明のカクテルが置かれる。
飲んでみると、一口目はぴりっとして、二口目で一気に爽やかさがやってきた。
私はこのカクテルの名前を知らないけれど、人生で初めて家出をした、今日という日にぴったりだと思った。
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