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<季題>
紅差す樹々
<季節>
秋、特に晩秋
山辺に(字不足):
やまべに。字綴通り「山の辺りに」の意。音韻が「山、紅」を示唆。
字不足を嫌って「やまのべに」としても好いが、この音韻は「山の紅」を容易に想起させ、直後中句冒頭の「紅」と過度に呼応し合い兼ねない恨みもある。上句の音韻をあくまでも示唆に留保、かつ字不足回避のためには、「やまの『へ』に」とした方がより相応しかろう。
もっとも、恋の憧憬・恍惚や切なさ・遣る瀬なさを表現し得ることから、字不足で詠み上げるのが最適かも知れない。
紅差す:
美装等の顔料塗布、とする第一義的解釈も可能だが、ここでは心の昂りに頬を赤らめる様の直喩。その思いは、特に情熱や含羞等が複雑かつ精緻に入り交じった好意(恋心)、とすべきか。
樹々:
きぎ。即ち複数、むしろ多数。大木を限定的に指し、低木・灌木は除外。
数多の樹木が幾千万もの葉を紅に染め山腹から山裾へ広がる一帯を彩った、まさに文字通りの「景色」を想起すべし。
の:
格助詞。主格。「が」に置き換えて読解せよ。
恋ふ:
連体形。直後に(対格かつ主格代名詞としての)「者」または「の」を捕捉して読解せよ。
文法上の主語は「樹々」だが、文脈上の主体は「山」、とも解釈し得る。上句の助詞が与格であることから、恋に葉を赤らめる樹の各々が山に紅差して装い、応じて山もまた恋に頬を赤らめる、とするのも趣深かろう。
この句における「恋」は、一般的な恋愛として簡易かつ自由に想起して好い。十二分に成熟し酸いも甘いも噛み分けていながら、初々しさや羞じらいの溢れた憧れに酔い痴れる、とすればより望ましいか。
は:
主格の連体格助詞。上述の通り、文法上の主語名詞は省略されている。
誰:
よしや樹々の紅葉が恋故のものならば、その「儷(つれあい、別綴「逑」)」は果たして誰であろうか。紅葉は恋故のものではあるまいか。
付加して一首(ただし反歌ではない、敢えて謂うなれば、Ch.ボードレール『貴君酔いたまえ(Enivrez-vous)』への応答歌か)。
紅葉や恋故に請ふ酔ふべしと恋故にこそ結ふべけれとも
('14,11/20,午前)
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