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「つい最近決まったらしいね。
知ってるのは部長と僕だけだよ。
辞令までは婚約も秘密だと」
「彼は人気者だから、女子は大騒ぎになるでしょうね」
しばらく二人とも黙って歩いていたけれど、もうすぐ店が見えるという時、課長が口を開いた。
「今日、もし居心地が悪ければ途中で抜ければいい。理由は僕が適当に言っておくから」
いきなりの飛躍に驚いて見上げると、課長は「失礼だったらごめん」と謝った。
「いえ。ありがとうございます。
……課長も私達が付き合っていたこと、ご存じなんですね」
「そりゃ君達は有名人だから。
でも詳しいことは知らないよ」
元彼は結婚、私は一人。
私の未練までは知らなくても、決まりの悪さを察したのだろう。
同情されるのは嫌いだけど、
課長の気遣いは嫌ではなかった。
でも二人の婚約が公になる時を思えば、この程度で私は逃げる訳にいかなかった。
「大丈夫です。私達が付き合っていたのは随分昔のことですから」
五年分もの時間薬は、私に彼を忘れさせてくれる代わりに、心を隠す鎧を強くした。
そんな私が彼の幸せのためにできることは、もう平気だと振る舞い続けることだけ。
「今は、彼はいい友人です」
前を向いたまま微笑んだ。
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