プロローグ

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   谷崎潤一郎の「刺青」を読んだのは中学生のとき。  たった十ページほどの作品だったが、赤い表紙がボロボロになるまで、何度も手にとった。その文章の妖艶さゆえか、刺青という異様な世界に驚くほど執着ができたのは否めない。別段、フェチズムやマゾヒズムに目覚めていたわけではないが、その要素はあるように思えた。  「刺青」への想いを貫き、朝比奈忍(あさひなしのぶ)はアルコールの臭いがたちこめる部屋で、ひとり息を殺すように針を突いていた。  滲む汗を手ぬぐいで覆い、髪をきっちりおさめて襟足で結んである。見え隠れする後れ毛は亜麻色で、うつむき加減の瞳には長い睫が並んでいた。  シュッ、シュッ、と肌を跳ねあげる音に横たわった男が苦悶の表情をみせる。その周りには針のついた棒が何本も並べられた木箱と、白いしょうゆ挿しのような小皿が畳に点在している。  手元にあるのはノミや刺し棒と呼ばれる商売道具だ。漆喰のかんざしほどの棒の先には穴の開いた針が三本横に並べてあり、それを和紙で巻いて糊でとめてあった。  横たわった男の背には、彫師である忍が描いた不動明王が目を剥いて睨みをきかせていて、さっさと命を吹き込まねえかと急かされているようだ。 「終わったよ、佐倉さん」  忍が声を掛けると佐倉はふぅと息を吐いて、煙草、とつぶやいた。 「明日、頭がけえってきやす」
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