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「そんな大層なものじゃない。それより珍しく騒がしいな」
司のいない事務所は幹部も揃わず、部屋住みの若衆が数人いるだけで静かすぎた。幹部の相好が崩れるのをみると、緩んだ空気に司の存在の大きさを知って嬉しくなる。
「忍先生。いやぁね、匠さんがいねえって湊が大騒ぎしてたんでえ」
波布亮治が自慢のエナメルの靴を磨きながら答えた。司のことを通り名で呼ぶのはここでは波布だけだ。光堂会の傘下で尾張旭会の組長だが、湊と兄弟の杯を交わしている。見てくれが派手な上、組では無類の女好きで通ってるが、武闘派でキレさせると怖い相手らしい。
忍にとっては記念とも言うべき、初めてひとりでやらせてもらった刺青が波布だった。背中には竹に虎、そして龍が彫ってある。
「弁当中(仮釈放)だろうに。出てきたばっかで、もちぃっと大人しくなんねえですかね」
日中の茹だるように暑さに、外を探してまわったらしい湊は、汗の引いた顔を扇子で大仰にあおいでいる。直系の若頭相手にこれだけ言えるのも、司が坊ちゃんと呼ばれていた頃からの側近だからだろう。年でいったらひと回りほど上で、仁と同じくらいだ。昼間はどうやら司をつかまえ損ねたようで機嫌がよろしくないらしい。
「そういや、刀根はどうした?」
いつも揃う面子にひとり足りない。ジャパンジャーナルなどという英字新聞を毎朝読んでいる頭脳派で東道組の情報を一手に握っている優男だ。司は革張りのソファにふんぞり返る幹部らをひとなめして訊いた。
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