四十二 祐天仙之助

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ひと口にかっぱらいというが、当時の量刑は、追い落とし、つまり相手を脅かし、とり落とした物品を奪えば死罪。追い剥ぎ、直接物品を奪えば獄門と、極めて苛烈であった。 だから荒っぽいことで知られる箱根の雲助なども、態度や口で脅すことはあっても、決して直接手をだすことはなかった。 わずかな金銭のため命を賭すよりも、同じ死罪ならば、大金と秤にかけたほうが、わりがあうというものだ。 そうして捨五郎は、盗賊の世界に足を踏み入れた。 とはいえ、名栗の文平の一味は、しっかり統率がとれており、過去二十年間に捕まった一味の者は、ひとりもいなかった。 文平が病死したあと、捨五郎は、一味を抜けたが、いまは、再会したかつての仲間である御子神の配下として、重要な役目をはたしていた。 以前の捨五郎は、ただ金銭と己の快楽のために、盗みをはたらいていたが、いまは違う。 強欲な商人から奪った金が、夷狄を排除し、皇国の尊厳を守るために使われるのだ。 水戸学を学び、攘夷の意思の強い捨五郎にとって、これ以上のことはなかった。
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