108人が本棚に入れています
本棚に追加
捨五郎は、見通しの悪い場所を曲がったとたん、道ばたの下草に、素早く身をひそめた。
こうした場合の心得は、名栗の文平よりみっちりと仕込まれている。捨五郎は、ゆっくりと細く長く呼吸した。
頭のなかで自分の鼻の前に、細くて長い糸があるように想い描き、その糸が呼吸によって、一切揺れないようイメージする。
呼吸すなわち気配である。そうすることによって、己の気配を殺し、なおかつ心に浮かぶ動揺や恐怖といった感情を絶つのだ。
しばらく身をひそめていると、足早に誰かが近づいてくる気配を感じた。しかし、速足にも関わらずほとんど足音がしない。
そのとき、ちょうど隠れていた月が顔を出し、はっきりと近づいてきた男の姿が浮かびあがる。
男は、二本差しの武士だった。腰が座り、身体を上下左右に揺らすことなく、滑るように歩みをすすめている。
(こいつは、かなりの使い手に違いねえ……)
捨五郎は、緊張しそうになる己の気持ちを鎮めるため、心に浮かべた、鼻の前に垂らした糸に、意識を集中した。
男は立ち止まると、一瞬、かすかな殺気を放つ。
最初のコメントを投稿しよう!