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あの日からもう5年くらいの月日が経ったのだろうか。
それくらい私の中では高崎家の家族だけで
生きることが普通になっていた。
もう、妹家族のの園田家とはもちろんのこと、
実家である大下家との交流もほとんどない。
いや、父が、1年に1度か2度、
お裾分けというわかりやすい言い訳のついでに
やって来る以外は一切の交わりがなかったのだ。
だから、母は子どもたちがどれだけ大きくなったのかも
知らないはずだ。
父にしても、
来るときに子どもたちが家にいることはほとんどなかったので、
その成長は知らないことだろう。
そんな、そんな状態がずっと続いていたのだ。
その間、どうしていたのかは
今はもう思い出すことも出来ない。
きっと、なんとかやっていたのだろう。
いや、なんとかやるしかなかったのだと思う。
その当時、まだ若くて世間を知らないことも
あったと思うが、誰に相談することも
頼ることも出来ずに、
自分達の狭い常識や知識の範囲で
ただ必死に
生きてきたのだと思う。
だから、迷惑をかけたことも
誰かの気分を害したことも
多かったに違いない。
そんな私たちを許してくれたり、
見守ったりしてくれた世間や
ご近所の方たちには
ただただ感謝の思いでいっぱいである。
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