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ゴールキックも慣れた調子で難なく決め、チームメイトであろう生徒とハイタッチを交わしている矢代の心底楽しそうな表情に、雨宮は胸の奥が痛んだ。
グラウンドから離れられない性分だからと彼は言っていた。が、本当はグラウンドが彼を離さないのではないだろうか。
スポーツの神様に祝福されて生まれてきたとしか思えない恵まれた体躯。誰にでも好かれる穏やかな性格と矛盾しない厳しさ。
まさに理想のアスリート。
理想の体育教師。
――羨望。
そう。彼を意識する度に胸が痛くなるのは、自分がこの上なく彼に憧れているからだ。
『潤…俺の恋人になれへん?』
『あははは。もう! 酔ってるんですか? 矢代先生!』
『あほ。本気で言ってんねや』
『僕が女性にでも見えるんですか? 困った人ですね。今、水をお持ちしますよ』
『潤』
『なっ…』
彼の部屋に誘われ、会話も弾み楽しく飲んでいた。意外に料理上手な矢代のつまみに舌鼓を打ち、ビールやらワインやらと翌日が休みだったこともあり、かなり飲んだことは確かだった。
和んだ雰囲気に言葉もいらない安堵感が心地良く、優しげな目で見つめられ、告白されても嫌な気はしなかった。
もちろん、酔った上での冗談だと思っていたから。
飲み水を汲んでこようと立ち上がった所を後ろから腕を引かれ、抱き取られるようにその場に崩れ落ちた。
腕の中の雨宮を覗き込む矢代の眼差しは怖いほど真摯なもので、その時初めて彼は本気なのだと…理解した。
『困り……ます』
『俺のこと…嫌いか?』
『いえ。あの…でも…そう言う意味では……』
雨宮は困惑した。
確かに矢代のことは好きだった。だがこの気持ちは恋愛感情ではないはずだ。同姓なのだから、そんなことは有り得ないと思った。と同時に、後ろから抱き留められて背中に感じる彼の温もりに、ときめきのような淡い喜びを確かに抱いていている自分がいて、より混乱してしまう。
自分にそっちの気があるなんて今まで感じたことがない雨宮は、不安から考えることを拒否し、恋心ではないと決め込んだ。
『僕は…男性と…恋愛なんて…出来』
『わかった。もうええ』
一瞬だけ強く抱きしめられ、逞しい腕がゆっくりと離れていった。去っていく体温に寂しいような切ないような痛みが胸の奥に落ちていったが、それは遮られた言葉を無理矢理飲み込んだせいだったのかもしれない。
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