第1章

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『ほな。じっくり慣らしてかなあかんな』 『え?』 じっと何かの痛みに耐えているような雨宮にケロリと明るく声を掛けると、矢代はそそくさと布団を敷いてキミはこっちに寝なさい。と指示したのだった。とりあえず同じ部屋で寝ることから慣れろと。 そんなこと、友達同士でも当たり前にすることで今更慣らす必要など無いのに…。 (優しいんだから。ホントに) 矢代は絶対に気まずいまま会話を打ち切ったり、引きずったりしない。必ず笑わせるか怒らせるか、もしくは呆気にとられるようなことを言ってその場の雰囲気を変えてしまう。 そんなふうに甘やかされて、雨宮はまだ矢代からの申し出にはっきりと答えられずにいた。 (いっそ煮え切らないヤツだと嫌ってくれたら良いのに………) グラウンドでは野球部がランニングに出掛け、陸上部が練習を始めていた。ラグビー部の練習もそろそろ終わるのか備品が撤収されていく。 雨宮はメタルフレームの下側を指先の甲で押し上げ、矢代の姿を探した。が、あの目立つ大男の影はない。シャワーを浴びにでも行ったのだろうかと部室舎の方も背伸びして見てみたが、そちらへ向かう人影も…ない。 不思議と彼は人を惹き付ける魅力がある。 自分もそこに魅入ってしまったのだ。諦めきれず姿を探して視線をさまよわせる自分に雨宮は言い訳する。 これは恋ではなく、羨望なのだと。 「………」 帰ってしまったのかもしれない。中等部の体育教師である彼は、プライベートで高等部の部活動に参加している。プロのアスリートであった矢代はどこの部活からも歓迎されているが、なぜかそれは学校側から良いように思われていないらしい。 本来なら陸上部で指導して貰いたい選手は多いだろうに、矢代自身、気を使って陸上部には近づいていないようで、顧問と折り合いがついた部にだけ邪魔にならない程度に顔を出しているのだ。 矢代のいないグラウンドを見ているのにも飽き、室内へと向き直るとドアの所で壁に寄りかかった人影がこちらを眺めていた。 「っ…矢代先生…」 「誰か探してたん?」 「別に…誰も探してなんか…」 穏やかな眼差しを見つめ返せない。水飲み場で頭に水をかぶってきたのか矢代はびしょびしょの短髪をタオルで頭を掻くように拭っている。
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