第1章

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関西弁まじりの驚くほど背の高い体育教師は、中等部三年間の授業で楽人の運動能力をかなり引き上げてくれた。入学当時はまるで女子児童のようにおっとりと走る楽人に、腕の振りや蹴り上げを熱心に指導し、三年生最後のクラスマッチでは、推薦でリレーの選手に選ばれるほどになっていた。 2分で戻って来られるだろうと言うのは 『お前は足が速いから』 と努力して事を成し遂げた楽人を、何気なく持ち上げてくれたのだ。 ほら行って来い。と肩を叩かれ、楽人は席を立つ。 先生に促されて席を立てば、なんとなく公認の目的があるようでさほど他人の目を気にしなくて済む。 (矢代先生。サンキュ) こういう優しさに秀でた教師は人気がある。もちろん矢代も例外ではなく、いつもその目立つ体躯だけではない理由で生徒達の人気を集めていた。 楽人は出来る限りのポーカーフェイスを装い、足音が響かないようゆっくり体育館を出てから、勢い良く走り出した。 誰もいない校舎はシンと静まり返り、上履きが廊下を蹴る高い音が反響してやけに大きく聞こえる。 たどり着いた教室の引き戸を息を乱しながら乱暴に開けると、誰も居ないはずの教室に確かな人の気配があり、楽人は驚きのあまりその場で一瞬固まってしまった。 「…楽人」 「宗…ちゃん?」 早乙女宗助(さおとめ そうすけ) 楽人の幼馴染だった。 家が隣で親同士も歳が近いせいか親しく、幼いころから兄弟のように育ってきた。 「なに…してんの。こんなとこで」 「…べつに」 宗助のクラスはここじゃない。それに卒業式がもうすぐ始まる。そう思ったとき、ふと楽人は普段ならこの場所にありえない焦げた匂いを嗅ぎ取った。目を凝らせば教室の後方にある腰高のロッカーに腰掛けた宗助の指から白い煙が立ち昇り宙を舞っている。 「タバコ………」 「なんだよ。うるせーな」 幼馴染みとは言え、仲良く互いのことを話せていたのは中学に入った頃までだった。楽人より早く声変わりを迎えた宗助は、日に日に口数が減り、次第に楽人を避けるようになった。突然の拒絶が理解出来ず縋るようについてくる楽人を、宗助はいつも鬱陶しく振り払い、睨みつけ、冷たくあしらった。 『幼馴染みだからって気安くすんなよ。お前の顔なんか…もう見たくない』
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