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「え? 私がですか? …そうですね。雨宮先生がそうおっしゃるなら、そうなのかも知れません」
――ドキン。
「それはどういう…」
「しっかり捕まえておかないと、ホントに盗っちゃいますよ?」
(え…)
「それじゃ、復帰されたばかりでお忙しいでしょうから、私はこれで。あまり無理をなさらないでくださいね、雨宮先生が体調崩されると、ウチの体育教師がウロウロして、ホントに目障りなんですから」
あの大きな体で。と意味深な笑みを残して中原が去っていった。
(…なんだ?)
廊下を歩いていく細い足首とピンクのナースサンダル。
雨宮はメタルフレームを指先で押し上げ、そのまま男にしては繊細な指先を口元から鼻へと沿わせる。考え込むときの癖だが、本人に自覚はない。
(…とにかく、今は仕事のことを優先しよう)
そう切り替えて、理科室へと足をむけた。
廊下を颯爽と歩くその姿を、グラウンドからじっと見つめる目があることなど気付かぬまま。
それもそのはず。その眼差しの持ち主は、並外れた視力で雨宮の姿を捉えていた。中等部のグラウンドから高等部のグラウンドを通り越して。
「潤…」
廊下から見えなくなってしまった恋人の姿にちょっとがっかりしながら、それでも 『恋人』 と呼べる幸せを矢代はじんわりと噛締めていた。
初めて肌を合わせたあの日から、もう数回コトに及んでいるものの、まだ最後までは達していない。
初めての相思相愛に、相手を大事にしすぎている自覚はある。そのせいで雨宮が不安に思うこともあるだろうと予想はつくが、大事にしたくて堪らないのだから仕方ない。
「センセ」
未練がましく高等部の校舎を見つめている矢代に、馴染みの声がかけられる。
「矢代センセ」
「早乙女」
「なに? いいモン見えんの? そんな切なそうな顔しちゃって」
「コラ、俺のいいモン勝手に見るな。なんや? またサボリか」
矢代と同じ方向を向いて、なにを見ていたのかとわざとらしく頭をヒョコヒョコ動かす宗助に、矢代の大きな手が伸びる。
がしっと頭を握られて宗助は笑いながら肩をすくめた。
「サボリじゃないよ。…お別れの挨拶に、来たんだ」
「別れの挨拶?」
「うん。ね、先生、今空き時間なんでしょ? 裏の土手に行かない?」
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