踏む歩み 葉ずれ吹く風 鳴りて和す

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<季題> (吹く)風、併せて葉ずれ <季節> 晩秋、または季節不問 踏む歩み: 連体形「踏む」が名詞「歩み」を修飾したもの。その主体が何者(誰)であるか、また歩みを何処で踏むかは特定しない。各自自由に想像せよ。 葉ずれ: 文字通り、葉が擦れて立てる音。 この句では、特に晩秋から冬にかけての落葉や枯葉の音を想起されたい(ただし限定はしない)。 吹く風: 連体形「吹く」が名詞「風」を修飾したもの。上句に呼応。 この句では、晩秋の木枯らしを始めとする、寒く冷たい風を想起されたい。これもまた上記同様限定はしないがそれでも、さながら嵐の如く極端に激しい突風や烈風は些か不適当か。 鳴(る): 発された瞬間には噪音に過ぎなかった非楽音が、楽音として響いてくる様を想起すべし。「奏でる」とは異なりながらもそれに漸近する、と解釈しても好い。 て: 原因・方法を表す接続助詞。 完了の助動詞「つ」の連用形から転回したと考えられることが学術的にあるが、ここでは完了については看過。 和す: この句の表す情景には、まさに「和音」が響いていよう。字義通りの「調和」する音だがこの句では特に、歩む者(即ち人間を始めとした諸々の主体)と葉ずれる植物(即ち生物・自然)と吹く風(即ち地球・世界)の、「奏でる調べ」が「和して」楽の音を成す、と解釈すべし。 季節不問: 言うまでもなく、風も葉ずれも晩秋に限定されるものではない。そもそも季題として不適当、と見做すこともできる。にも関わらず敢えて「木枯らし」等の四字を避けより一般的な「(吹く)風」としたのは、木枯らしの激しさ・寒々しさ・心寂しさを嫌ったためばかりでなく、他でもない季節の限定を外すためである。 春夏秋冬各々に独特な風も葉ずれの音もあろう、そして各々に独特な情趣もあろう。その一つ一つに対し、また囲まれ包まれ、季節不問で変わらぬ歩みを踏む者が調和していく、といった情景を自由に想像・観賞されたい。この俳句は、明確な「季題(または季題と解釈し得る語群)」を呈示しながら「季節不特定不問」とする俳句の、試みである。
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