モノを書き始めたのは…家賃2万5千円が払えなくなったから。

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書くようになったのは… 四畳半の家賃2万5千円が払えなくなったから。 両手いっぱいのマメも痛いし。 正直に書く。もう30年以上も前の話だし。 1983年(昭和58年)35歳の冬。 食えないバンドをやめた後、あれこれバイトして 辿り着いたのが、大日本印刷・市ヶ谷工場。 毎朝7時半に駐車場脇の事務所。 カウンターに行列して早い者順で配置の指示を待つ。 朝の8時から夜の8時まで12時間・労働で6千円の日払い。 12時間 X 月20日間 X 12カ月 X 2年ちょっとか… フヌケ。 もう何千時間、魂を切り売りして来たんだろ。 市ヶ谷の高台に広がる 九龍(クーロン)城みたいな大日本印刷の工場群。 昼休みになると非常階段から、 モグラの僕は太陽を探しに屋上に逃げ出す。 隣の棟の屋上では何十人もの若い正社員達が 昼休みのバレーボール大会にキラキラの笑顔と歓声。 みんな、自分の時間をしっかりと受け止めて それを、未来に精一杯打ち返している。
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