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 マンションの廊下の天井から照らされる蛍光灯の明かりで逆光になり、その人影の人相どころか性別すら判別つかない。  僕はすぐさまそこから視線を逸らす。その人物が手を振っている相手は僕ではないのかも知れない。だけどもう僕の心臓は早鐘のように激しく鳴りはじめている。  僕の足はその場にとどまったまま次の一歩を踏み出せない。それどころか、膝から下の力が抜けてしまってガクガクと震えだしてしまっていた。  とにかく自分自身を落ち着きを取り戻すことが必要だった。  視線を足元にやって、やたらと早くなってしまった呼吸を整えるために浅く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出す。意識してそれを何度も繰り返した。  耳のすぐそばにあるのではないかと思うほどに大きな音を立てて鼓動する心臓をなんとか鎮めようと、胸に手のひらを当てる。  けれどもすぐに、僕は立っていることもできなくなり、ついにその場にしゃがみこんでしまった。  その拍子にイヤホンが外れ、遮っていたはずの外界の音が僕の耳に流れ込んでくる。  通りに植えられた木々が風に揺れてザワザワと鳴る音が、まるで僕を取り囲むたくさんの人たちが無様な姿を晒している僕を笑っているかのように聞こえてきて、頬の辺りがカッと熱くなった。  久しぶりにヤバいかも知れない――そう思った次の瞬間、空のほうから僕に呼び掛ける声が聞こえた。 「いっちゃん、大丈夫だよ!」
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