第二章 嵐の前の初仕事

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 脇から変な汗が出てくる。  落ち着け、とにかく落ち着くんだ。深呼吸をしてって呼吸ってどうするんだっけ?  軽くパニック状態になりつつも、このままここで篭城したい気持ちを抑え、僕は恐る恐るドアから中の様子を伺う。 「早く入って!」  不意に七瀬さんに腕を引かれて、僕は慌てて台本で顔を隠した。  僕の挙動不審さをみんな不可解に感じてるに違いないと思いながらも、七瀬さんに引きずられるようにジムに入る。 「よろしくお願いいたします」  みんなが先生に挨拶している。なんて勇敢なパーティーなんだろう。僕だったら逃げるを連打する。間違いなく連打。連打しながら背後から攻撃されてても連打。 「さ、春原くんも、挨拶してって……あら、偶然ね、先生と苗字が同じだなんて」 「こんにちは」  妙にきりっとした相手の声が聞こえる。僕は台本を顔で隠したまま挨拶した。 「こ、こんにちは」 「……」  みんなが押し黙っている。きっと僕の態度に凍りついているのだろう。部屋が嫌な空気で満たされる。気まずい。 「春原くんっ、ふざけてないで、先生に挨拶っ」  七瀬さんが耳元でこっそりと囁いた。 「なにやってるの? 春原さん」  彰人くんが後ろ側から僕の顔を覗き込む。  見ないで欲しいっ……。見ないでーー! 僕はたった今から透明人間になりました。 「奇遇ですね、春原守くん。こんなところでお会いできるなんて」  長年聴き慣れた声に僕は戦慄を覚える。あまりにもやさしげな声に、ダメ。もうダメ。殺される。  誰かの足音が聞こえて大きな手が台本を掴み取ると、瞬く間に引き剥がされた。  僕を見下ろすにこやかな女性は目が笑ってなかった。 「とにかく、今はレッスンなので、お話は後でにしましょう」  その間の僕は記憶が飛んでいた。合気道の先生が彰人くんたちに演技指導をしている。全体練習などもやっていたが、僕は彼女が連れていた助手の人と練習していたので彼女とは接点を持たなかった。  いや、彼女も僕もあえて持たなかったのだ。  あっという間にレッスンを終えると、彰人くんたちは自分の荷物の中のタオルを取り出して先生に「ありがとうございました!」と一礼していたが、僕はあえて彼女の顔を見ずに、助手の人に挨拶をした。
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