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「だ、旦那さまっ! いえ、その、ちょっと!」
「セクハラとか言わないでくれよ。きみが病気にでもなったら、千恵さんに申し訳が立たない」
――そういうことじゃなくて!
「遠慮しないで俺に寄り掛かるといい。眠れそうなら、少しでも寝ておきなさい」
こんなふうに優しくされたら、誤解してしまう。自分がこの家に、史彦に必要とされている、と。
そんなことを思ったら、ますますこの屋敷を離れたくなくなってしまう。
本当にこの人は、なんて不器用なのだろう。たかが臨時のハウスキーパーにはこんなにも優しく、心につたわるふるまいができるのに。実の息子には
「はい。失礼します」
美晴は史彦の広い肩に、ことんと頭をもたせかけた。
背中に回された手から、彼の温かい体温が伝わってくる。それは背中からゆっくりと美晴の全身に広がり、包み込んでくれるかのようだった。
「美晴くん。その……きみさえ良かったら、これからもずっと、この家に居てくれないか?」
「え……?」
きょとんとして、美晴は史彦を見上げた。
――もしかしてあたし、これから先もここで働いてていいってこと?
そうなれば、こんなに嬉しいことはない。無事に職が見つかり、しかも史彦と悠理のそばに居られるのだ。
「でも、おばあちゃんが……」
「もちろん、千恵さんも一緒にだ。きっと、悠理もそれを望んでいるはずだ」
つまり、おばあちゃんとふたりで高幡家のハウスキーパーを続けられるということだろうか。
それならきっと、今夜のような失敗もせずにすむに違いない。史彦と悠理の想いがまたうまくかみ合わないようなことがあっても、おばあちゃんの知恵を借りれば、もっと上手に仲裁してあげられる。
もっともっと、ふたりを仲良くさせてあげられる。
それはきっと美晴にとっても、世界で一番うれしい光景になるに違いない。
「……はい。うれしいです」
美晴は小さくうなずいた。
「ありがとう」
史彦も微笑む。
それまでのどこか苦しげな笑みではなく、雪解けを迎えた大地のような、見る者をどこまでも深くあたたかく包み込む笑顔だった。
「お礼なんて、そんな――。あたしのほうが言わなくちゃいけないのに」
「いいや、言わせてほしい。……うちへ来てくれて、本当にありがとう。美晴」
低くささやく史彦の声が、耳元から胸へ、全身へとしみとおっていくようだ。
美晴はなかばうっとりと目を閉じた。
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