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「学校は、今日は休みなさい。お父さまが電話しておく。九時になったら、いつもの前島クリニックへ行くんだぞ。それとも、医師(せんせい)にここへ来てもらうか?」
「ううん、大丈夫。ぼく、病院までちゃんと行けるよ」
「あたしがついていきますから」
「ああ、頼む」
史彦はそれなら安心だ、というように小さくうなずいて見せた。
「でも、あの……旦那さま」
美晴はもごもごと口ごもった。どうしても声が小さくなってしまう。
「なんだ?」
「どうしてさっき、すぐに訂正しなかったんですか? その……警備員さんが、間違えた時――」
「間違い?」
「ええ、その……、パパ、と、ママ――って……」
耳元がかあっと熱くなる。きっと顔が真っ赤になっているだろう。
「近所の方たちも……、なんかちょっと、ヘンな顔してましたよ」
それはそうだろう。美晴はご近所さんにもきちんと、自分は佐々木千恵の孫で、ぎっくり腰になった祖母の代理でハウスキーパーを務めていると自己紹介している。
だが困ったことに、警備員の誤解を美晴自身、嬉しいと思ってしまっているのだ。
本当にそうなれたら。夢のような、あまりにもありえない話だけれど。
本当に悠理のママに、悠理と史彦の家族になれたなら。
そんな幸せがあり得るなんて、考えただけでバチがあたりそうだけれど。これからもずっとハウスキーパーとして、おばあちゃんとふたり、高幡家で働けるだけでも美晴にとっては想像以上のできごとなのだから。
史彦も端正な顔立ちをうっすらと紅潮させた。
「それは、まあ……。いずれそうなるんだから、訂正する必要もないかと思って――」
「――へ?」
「……え?」
きょとん、としたふたりの視線がかち合った。
「え? え? あの、それ、どういう意味で……」
「いや、だから昨夜、言っただろう。きみさえ良ければ、ずっとこの家にって――」
「ええ、はい。たしかに。でもそれって、ずっとここでハウスキーパーとして働けるってことじゃ――」
「そんな……、いや、それは、その――!」
史彦は、どうしていいかわからないというようにぐしゃぐしゃっと髪をかきあげた。
何が何だかわからない。
史彦が何を言っているのか、美晴にはさっぱり理解できなかった。
「もう、ニブいな、美晴は! お父さまは美晴にプロポーズしてるんだよ!」
悠理が声を張り上げた。
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