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悠理は急にうつむき、声も小さくなった。二年近くも親身になって面倒を見てくれたハウスキーパーのことが、やはり心配らしい。そうやっていると、今までのエラそーでくそ生意気な悪ガキの顔は影を潜め、年齢相応の幼さや可愛げが見えてくる。
「大丈夫ですよ。ギックリ腰で死ぬ人はいません」
「ほんと?」
「ええ。入院もしてませんし、家で少し休んでるだけですよ。じきに元気になります」
まだ不安そうな少年に、美晴はにっこり笑いかけた。
――なんだ、可愛いとこあるじゃない。
「な、なんだよ。バカみたいにニタニタして! そんな愛想笑いでごまかそうとしても、ぼくはだまされないからな! おまえなんか、すぐに追い出してやる!!」
「やれるもんならやってみて下さい。ただし、あたしは今までのセレブなお嬢さん方とはひと味違いますからね」
「見りゃわかるよ、ブス」
――前言撤回。このくそガキ……!
「だいたいおまえ、今ドキなんで住み込みの女中なんかやってるわけ? 今までの女中はみんな、オバサンばっかだったのに」
「おまえ、じゃありません。佐々木美晴です。美晴サンでいいですよ」
たしかに美晴のような二十代前半の若い娘が、国家資格のある介護士などではなく、他人の家で単なる家事手伝いのハウスキーパーをやるというのは珍しいかもしれない。
少しクセのある髪をポニーテールにまとめ、ポップなTシャツにデニムパンツにエプロン姿の美晴は、おたまとお鍋を持っていても、女子学生のお気軽バイトに見えてしまう。
「それからあたしもおばあちゃんも、女中じゃありません。ハウスキーパーです」
とは言ったものの、美晴も好きこのんでこの仕事を引き受けたわけではない。ほかに選択肢がなかったのだ。
日本が長い不況のトンネルを脱しかけているとはいえ、女子学生の就職状況はやはり厳しい。
苛烈な就職戦線を勝ち抜き、やっとの思いで美晴が正社員の職を得たのが、今年の春。
ところが入社したばかりの企業は夏を越せずに倒産してしまった。新卒の肩書を失うととたんに職探しが難しくなるのがこの国のシステムだ。おまけに恋人だと思っていた男は、実はデート商法の詐欺セールスマンで、危うく要りもしないダイヤや毛皮を売りつけられるところだった。ならば心機一転、留学して箔をつけようとなけなしの貯金をつぎ込んだ留学斡旋業者までぶっつぶれ、当然お金は戻ってこなかった。
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