第1章

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 こんな時、ふつうの若い女の子なら心の傷が癒えるまでとりあえず親元で安穏と暮らすのだろうが、美晴の場合はそんな悠長なことはしていられなかった。  両親は美晴が小学生の時に、交通事故で他界してしまった。美晴を育ててくれたのは祖母の千恵だ。  女手ひとつで一人娘を立派に育て上げたおばあちゃんだが、生活はけして楽ではなかった。その娘が結婚し子どもにも恵まれ、これでようやく肩の荷が下りたと思った矢先、娘夫婦は不慮の事故で亡くなってしまい、幼い孫娘だけが遺された。  それでもおばあちゃんはくじけなかった。ハウスキーパーとして働き続け、美晴を育ててくれた。  美晴も奨学金を受けて大学まで進み、国家資格も複数取得し、そしてやっと無事に就職できたと思ったのに、会社は倒産、お先真っ暗。  だが、ここでくじけてなんかいられない。これ以上おばあちゃんに心配はかけられない。一日でも早く次の仕事を見つけなくては。  ハローワークに通い、求人情報誌とにらめっこし、けれど目に入るのはパートやアルバイトの不安定な雇用ばかり。これじゃ奨学金の返済すらままならない。弱者にあまりにも厳しい日本の労働市場にため息ばかりがこぼれていた時。  おばあちゃんが住み込みの勤め先でぎっくり腰になり、タクシーの運転手さんに抱えられながら這うようにして家に戻ってきた。  美晴が大学に進み、寮に入ってから、おばあちゃんはそれまで通いで勤めていたハウスキーパーを住み込みに切り替えていた。  今の仕事先は旧華族の流れを汲む高幡家。現在は医薬品メーカーを中核にした健康産業の複合企業を経営しているのだという。 「悪いんだけど、美晴。おばあちゃんが良くなるまで、仕事を代わってくれないかね。ちょっと難しいお屋敷だから、ほかの人には頼みにくいんだよ……」  うつ伏せになって苦しそうに詫びるおばあちゃんに、美晴はにっこり笑ってうなずいた。 「心配しないで、おばあちゃん。あたしにまかしといてよ!」  本当は家に残っておばあちゃんの看病をしていたかったが、「おまえにしか頼めない」と言われたら、断るわけにはいかない。今までずっと苦労をかけてきた、たったひとりの大事な家族だ。ここで手をさしのべなかったら、いつ孝行ができるのだ。
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