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「・・・」
夕風が、髪を撫でる。
烏が声を挙げて飛んで行く。
新緑がさわさわと囁く。
その高齢と思しき男は。
鷹の如き眼差しで、西の空を望んでいた。
肥後、熊本。
金峰山と呼ばれる、山中である。
「・・・ふふふ。」
求める物が、その目に捉えられなかった為か。
或いは、その”何か”は、目に見える類の物では無い、と言うのか。
男の視線は、広げた己が両手へと落ちた。
「・・・随分、皺が増えたの。」
儂も老いたわ、と、寂しく笑う。
「じゃが、の。」
風が、一葉を運び。
男の身を、横切り。
その眼が、光り。
しゃん!
何時の間に、抜いた物か。
男の馬手には、白刃の太刀が、握られていた。
葉は、はらり、と四散し、地に落ちた。
「後、一花程には、用に足るじゃろ。」
す。
その切っ先を、宙に滑らす。
「のう、そこな御方。」
がさり。
太刀の指し示した先、その茂みから。
「いや、噂、伝承に違わぬ、御見事な腕前。」
大柄な男が、姿を現した。
年の頃は、三十路の後半、と言った所か。
濡れたような艶のある髪を、後ろで束ね。
盛り上がった肌肉は、その膂力を物語る。
右目を刀の鍔で覆い隠し。
露わな左目は、梟のそれの様に、らんらんと輝いている。
「ほう、ほう。」
男は、呵々と笑った。
「これ程の男を差し向けるとは。この老骨を、幕府は随分と買い被っている様じゃの。」
「御自身を、老骨、と申されるか。」
隻眼の男は、にやり、と口許を歪める。
「異論でも、あるか。」
「先程の太刀捌き、老骨と呼ぶには、ちと。」
「・・・ふん。」
「所で、御老。」
「ん?」
「俺が誰かを、御存知なのかな。」
”これ程の男”
”幕府”
”差し向ける”
それ等の言葉は、彼の身柄、目的を的中させていたと言える。
「それ程、剣呑な気配を放ち、おまけに隻眼、と来れば、の。」
「・・・」
「余りに恐ろしゅうて、”昔の儂”を引っ張り出してしもうたわ。」
「心にも無い事を。」
「まあ、兎も角。」
男が、太刀を翳す。
「これが、目的であろう?」
「・・・」
隻眼も、すらりと腰の物を抜く。
「来い。元将軍家指南役、江戸柳生、柳生十兵衛三巌。」
「参る。宮本、武蔵殿。」
場の空気が、一瞬で、爆ぜた。
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