序 闘刀

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「む!」 一足で距離を潰した十兵衛の中段の太刀を 『受け太刀はいかん!』 膂力では、老齢故に劣る、と。 武蔵は身を翻し、躱す。 その、際。 「う!」 弓手で脇差しを抜き、十兵衛の右面を狙う。 しかし、十兵衛は瞬時に身を引いて、脇差しは虚しく宙を突いた。 「ふふ。」 武蔵が、小さく笑う。 「流石、武蔵殿。」 それで十兵衛は、”その事”を覚られたと知り。 右目を覆う、鍔を外した。 その下から。 涼し気な眼光の、健常な眼球が露わとなった。 ”隻眼”である十兵衛の、死角を突いた筈である、先程の脇差し。 それを、十兵衛は見事に躱した。 つまり、それは。 十兵衛の右目が”見えている”事を示す物だった。 昨今の柳生十兵衛像は、隻眼であった事が常識の様に定着しているが。 その実、それを裏付ける歴史的資料は、一切存在しない。 「下らぬ相手なら、こちらが弱点とばかりに、油断して飛び込んで来てくれるのですが。」 「成る程。それが、本気を出す相手かどうかの試金石、と言う訳か。」 「・・・」 またも、読まれた。 先程の己の剣撃が、それを誘う物だった、と言う事を。 十兵衛は、呵々と笑う武蔵に釣られ、苦い笑みを浮かべる。 しかし。 「じゃが、の。」 笑いを止めた武蔵に、十兵衛のその口許が引き攣る。 「お前如き若造が、この武蔵を試すか。」 妖しく睨め付ける眼光に、思わず即座に後退した。 その身を追う様に、太刀が空を斬る。 十兵衛の襟元が、すっぱりと断たれた。 「・・・」 十兵衛の額から頬に、冷たい汗が伝う。 「まぁ、これでお互い様、じゃがの。」 「・・・」 つまり、今の一撃が小手調べ、と言う事か。 汗が、止まってくれない。 『気を抜けぬ・・・』 武蔵は表情こそ和らげた物の、目は笑っていない。 むしろ、その奥の炎は、一層激しく燃え盛っている、と十兵衛は見た。 「武蔵殿。」 「何じゃ。」 「無礼を、お許し下さい。」 深々と頭を垂れる十兵衛に 「剣を交わすに、無礼も何もある物かね。」 武蔵が再び高らかに笑う。 『参ったな、この御老人。』 十兵衛は苦笑するしか無かった。 己の所作が”誘い水”である事を読まれ、それを、笑われたのだ。 手管では敵わぬ。 それを覚った十兵衛は、改めて柄を握り直した。
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