序 闘刀

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「成る程、の。」 武蔵は。 夢見るような眼差しを、天に向けた。 「やはり、世は、面白ぅ出来ておるわ。」 「・・・」 息吹が。 抱える手に、伝わる感触が。 武蔵の命の残りを、十兵衛に伝える。 「・・・で?」 「はい。」 「儂に、他に訊きたい事は。」 「ありませぬ。」 「・・・無い、か。」 「はい。」 「・・・」 「・・・」 「ふふふふ・・・」 弱々しくはあるが、武蔵は愉快そうな笑みで、十兵衛を真っ直ぐに見た。 「ま、上様には、こう伝えよ。」 その笑いを収めぬまま、武蔵は語った。 「宮本武蔵の死により、”動き”は五年、遅うなった、とな。」 「・・・承りました。」 十兵衛が”役目”に忠たらん、とするならば、その”動き”に関する事が、真っ先に問わずばならぬ事、であった。 が。 数々の伝説を残した、この大剣豪に対し、それを誰何する事は、十兵衛にとって不遜な事に思え。 ただ、剣を交え、そして。 ”見送る”事を、選択したのだ。 「面白い、面白い、のぅ。」 武蔵もまた、十兵衛のその心を、察していた。 「お前のような男、あの島原で出会うた武芸者、それらのいるこの世は、ほんに面白いのぅ。」 「・・・」 「旅立つのが、名残り惜しゅうなるわ。」 「・・・武蔵殿・・・」 もう、幾許も無かろう。 「じゃが、の・・・柳生、十兵衛・・・」 震える手を、十兵衛に差し出す。 「何で御座る。」 十兵衛は、その手を握り。 『このような細い手で・・・俺と・・・』 今更ながら、その事に驚嘆した。 と。 とん。 「・・・?」 十兵衛の鳩尾に、微かな、感触。 見れば。 「!」 武蔵の持つ脇差しの切っ先が、そこに押し付けられていた。 「勝負は、終わって、おらなんだ、ぞ。」 「む・・・武蔵殿・・・」 武蔵は、残った僅かの力で。 「儂、の。」 にい、と。 口許を一杯に、広げた。 「勝ち、じゃ。」 それが、武蔵の最後の言葉、だった。 「武蔵殿・・・貴方は・・・最期の、最後まで・・・」 我知らず。 十兵衛は、武蔵の身を、きつく、きつく抱き締めていた。 「”宮本武蔵”で、御座いました。」 風は凪ぎ。 辺りは夕闇の静寂が支配しつつある。 十兵衛の抱擁は、長い時間、続いた。 正保二年(1645年)五月の事であった。
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