第一章

6/15
前へ
/65ページ
次へ
 遠くから、がらがらと牛車が近づく音がする。  鬼道丸は構わずに顔を伏せたままだった。牛車に乗るような身分の高い奴らが、鬼道丸に興味を持つことなどないからだ。 ところが、その牛車は鬼道丸の前まで来ると、ぴたりと車輪を止めたのである。  鬼道丸は驚いて顔を上げた。 鬼道丸の目の前には、綺麗な網代車(あじろぐるま)が一台止まっている。  花菖蒲の襲(かさね)の衣の裾が、清らかな簾の下から覗いているところからして、どうやら女車のようだ。中からは、芳しい香の薫りもほんのりと漂ってくる。 鬼道丸はうっとりとその網代車を見上げていた。  やがて、簾がゆっくりと揚げられ、華やかな幻のようなものが、ふいに姿を現した。 それは、一人の若い姫君だった。 一度も日の光を浴びたことがないと思われるほどに白い面輪。  優しく伏せられた睫(まつげ)の長い瞳。  薄紅の桜の花弁を置いたような、儚げな淡い唇。  漆黒の髪が肩先から流れ落ち、牛車から零(こぼ)れんばかりに豊かに波打っている。 年の頃は、鬼道丸より二つ、三つ上か。  だが、鬼道丸はもう目を離すこともできずに、惚けたように姫君の顔を見上げていた。  ぼんやりした鬼道丸の耳に、涼やかな声音が聞こえてくる。 「あなたは陰陽師なのですか」  鬼道丸ははっとして、思わずふらふらと立ち上がった。  姫君はなぜか思いつめたような目をして、鬼道丸をじっと見ている。鬼道丸はぶるぶると首を縦に振って姫君に答えた。 すると、姫君は持っていた数珠を握り締め、震える手でそれを胸元に押し当てながら呟いた。 「ああ、観音様のおっしゃった通り。これできっと、あの方の命も救われる」  
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加