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「行きなさい。これは業務命令だよ」
その足が無意識に動く。
北村の笑みを見て、ロビーのほの暗い灯りを見て、絨毯に足先をとられながら転がるように走った。
ウィンドウの照明が物寂しいショッピングゾーンを抜け、従業員用通路を通り、薄暗い管理棟の廊下に日和の呼吸が響く。
出口のないトンネルを走っている、悪夢を見ているようだった。
必死に走っているのに足が動かない。
会いたいと、手を伸ばしているのにドアが見えない。
ようやく辿りついた重苦しいドアの横には、在室中を示すプレートがある。
ノックをしようとする手が、悪夢の続きのように動かなくなった。
北村は口止めをされていたと言った。
自分に知らせたくない何かが鳴沢の中にあったのだ。
会いたい欲求に任せてこのドアを叩いてしまったら、そこにいる鳴沢はどんな顔をするのだろうか。
疲れているとわかっているのに。
眠らせてあげるべきだとわかっているのに。
自分のわがままは、鳴沢の負担にしかならない。
だから知らせてもらえなかったのかもしれない。
一ヶ月以上も会えないとわかれば、ぎりぎりまで抑えていた日和の気持ちが暴走してしまう。
きっとそう思われたのだ。
日和はまだ若い。
抑えられない欲望もある。
鳴沢のような大人には、到底手が届かないほどに幼いのだと。
知ったばかりの恋に夢中になって迷惑をかけては、あの日パートナーとして認めてくれた鳴沢の決意を無駄にしてしまう。
ノックをするつもりで握りしめた拳を開いた。
ドアに押し付けた手のひらは震えて止まらなかった。
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