第一話 バレンタインの魔法使い

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「行きなさい。これは業務命令だよ」  その足が無意識に動く。  北村の笑みを見て、ロビーのほの暗い灯りを見て、絨毯に足先をとられながら転がるように走った。  ウィンドウの照明が物寂しいショッピングゾーンを抜け、従業員用通路を通り、薄暗い管理棟の廊下に日和の呼吸が響く。  出口のないトンネルを走っている、悪夢を見ているようだった。  必死に走っているのに足が動かない。  会いたいと、手を伸ばしているのにドアが見えない。  ようやく辿りついた重苦しいドアの横には、在室中を示すプレートがある。  ノックをしようとする手が、悪夢の続きのように動かなくなった。  北村は口止めをされていたと言った。  自分に知らせたくない何かが鳴沢の中にあったのだ。  会いたい欲求に任せてこのドアを叩いてしまったら、そこにいる鳴沢はどんな顔をするのだろうか。  疲れているとわかっているのに。  眠らせてあげるべきだとわかっているのに。  自分のわがままは、鳴沢の負担にしかならない。  だから知らせてもらえなかったのかもしれない。  一ヶ月以上も会えないとわかれば、ぎりぎりまで抑えていた日和の気持ちが暴走してしまう。  きっとそう思われたのだ。  日和はまだ若い。  抑えられない欲望もある。  鳴沢のような大人には、到底手が届かないほどに幼いのだと。  知ったばかりの恋に夢中になって迷惑をかけては、あの日パートナーとして認めてくれた鳴沢の決意を無駄にしてしまう。  ノックをするつもりで握りしめた拳を開いた。  ドアに押し付けた手のひらは震えて止まらなかった。
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